4、定家の歌の鑑賞

 

 新古今集という歌集はどちらかと言うと読みにくい歌集である。殊に定家の歌は読みにくい。古今集でも題詠というものはあって作為的な歌は多いが、これが新古今となるとほとんどがそういう作為的な歌となり、しかも作為そのものがひどく手が混んで来て、現実の世界とはまったく隔絶した、純粋に観念的で知的な美の世界となってしまっている。

 したがって和歌が本来感情表現のための手段であったのに対し、新古今では感情そのものが屈折し、表現の表面から韜晦(とうかい)し、ひどくわかりにくいものになっている。それは新古今時代の歌の作り方が古今集時代よりさらな密室化・専門化し、五十首歌、百首歌のような制度化されたものとなり、本歌取りの妙技を競うようになり、知的遊戯に化したところに原因していると思われる。尤もこれは実は結果であって、真の原因は新古今時代の宮廷社会を中心とする人々の感情の変化に起ったことは間違いない。この時代は律令制度の終焉の時代であって、宮廷社会の人々の感情は暗一色に塗りつぶされていた。

 これに対して新しい体制の代表者である武家社会の家人実朝の歌が、新古今歌壇の影響下にありながらまったく異質のものになっているところは面白い事実であろう。この点は宮廷社会を捨てた西行についてもありありと読み取ることができる。

 定家はその歌論書《毎月抄》の中で本歌取りについてこう書いている。

 〈本歌を取り侍るようは、さきにもしるし申し候いし。花の歌をやがて花によみ、月の歌をやがて月によむことは、達者のわざなるべし。春の歌をば秋冬になどによみかえ、恋の歌をば雑や季の歌などにて、しかもその歌をとれるよときこゆるようによみなすべきにて候。本歌の詞をあまり多くとることはあるまじきことにて候〉

 つまり本歌が月の歌ならそれをとってもう一つの月の歌を作るのは難しい。それは直ちに本歌と比較され優劣がはっきりしてしまうからで、やるにしても達者のやることでだろう。だから春の歌を秋や冬の歌に詠みかえ、恋の歌を雑や季の歌にして、しかもどの本歌から取ったかはっきりわかるように詠むべきである。本歌の詞をあまりたくさん取ることはすべきでない、と言うのである。こうなるともう歌はどうしても歌いたい感情があって歌われるものではなく、いろいろな規定の中でいかに気の利いた歌を作るかという技能比べのようなものになってしまいはしないか。これから定家の歌を読むに当ってこんな疑問をどうしても拭い切れない。

 

       1、梅の花 こずえをなべて吹く風に 空さえ匂う春のあけぼの   (初学百首)

 

 初学百首は定家二十才の折の歌人として最初の作品である。定家自身は後年自家歌合せを選んだ時初学百首から三首選んでおり、最初の作品だが歌人定家の特徴はこの百首でもはっきり読み取ることができる。

 この歌は〈咲き乱れている梅の花の梢をやわらかい春風が吹き過ぎて行き、曙の空一面が梅の薫りで満ち満ちているような気がする〉というだけの意味で、若々しい感覚による春の喜びがおっとりと語られている。特に何処と言って抜きんでているという歌ではないが、〈こずえをなべて〉とか〈空さえ匂う〉といった言葉遣いは独特のものがあり、こういう行き方が洗練されて行って後の定家流レトリックが完成して行った、これはその原初形態のような気がする。定家の歌としては極めて率直だし歌の心もナイーヴで初々しく雰囲気も優しい。但し歌の心は心というところまで行っておらず、気分と言うかムードといった段階だろう。それはともかくとして好感の持てる歌である。

 

      2、天の原 思えばかわる色もなし 秋こそ月の光なりけり       (初学百首)

 

 安東次男はその著書《藤原定家》の中で、それぞれの歌の本歌取りの考証や作歌事情の分析などを詳しく展開している。定家の歌の歴史的研究という面ではそれはもちろん不可欠なことであろうが、われわれ現代人が定家の歌を鑑賞するという立場では、あまりそういうことにこだわる必要はないであろう。さもないとわれわれ市井の人間にとっては定家の歌は鑑賞不可能ということになろうし、それでは古典はわれわれとまったく関係のないものになってしまう。したがってそういうもろもろの事柄を知らなくてはわからない歌というものは、自ずからわれわれの鑑賞の対象から外れて行くであろうし、それで良いのだと思う。芸術作品というものは何時の世でもどのジャンルにおいても、そういう歴史的制約を乗り越えたものだけが残って行くのであるとすれば、われわれはわれわれの知識と感覚で定家とも対して行く他はあるまい。もちろん歴史的作品であるから、まったく無知識の無手勝流というわけにも行かないが、それは程度の問題であろう。安東はこの〈天の原〉の歌もどの本歌を取りどのような工夫がなされているかを細々と分析しているが、われわれにとってはそんなことより、この歌にはどんな感情が流れており、それがどのように表現されているかが問題だと思う。

 さてこの歌の表現には一切感情の影が現われていない。

 〈澄み切った夜の大空を仰ぎながら思い起こしてみると、そこには何一つ季節によって変わってゆく風情はない。しかし月の光が冴えわたるのはやはりこの秋なのだなあとつくづく思うのだ〉

 定家にとっての美とは、このように鋭く研ぎすまされ曖昧な暖かさや色彩のない、生命の息づきさえ感じさせない、瞬時に凝結したような世界であった。そこには微かな悲哀が流れているようであるが、それは奥深いところを流れていて決して表面に浮かび上がることはない。作家の感情ははかり知れないが、それはやはり暗い。その暗さバックにあるからこそ月の光は凄絶なまでに冴えて美しいのである。しかしこの美しさが真に人間的な美であるかどうかは大きな問題だろう。ここに早くも定家美学の根本問題が提示されている。

 

3、さみだれに 水波まさるまこもぐさ みじかくてのみ明くる夏の夜  (初学百首)

 

 この歌などは正に技巧以外の何物でもない歌だ。上の句はまったくの序詞で意味を持たず、下句の〈みじかくて〉を引き出すためだけの機能しか持っていない。夏の夜は短いというただそれだけのことである。だからそこには何か人間的な匂いといったものさえ感じられない。〈みじかくてのみ〉と短いということを特に強調しているところから、たださえ短いものが、二人で会っていると何も言う暇もないくらい短いなあという意味に解釈すればできないことはないが、このようにあまりにも技巧の網を張り廻らしてしまうと、そういう感情が内側から訴えかけて来る力は、どうしても希薄化してしまう。したがってこういう歌はやはり知的遊戯の産物と見る他なく、歌として人間の心に訴える力は弱い。しかし当時の宮廷歌壇というものはこういう夏の夜は短いというだけの歌でも、それが本歌をうまく取っているとか、言葉の使い方が優雅であるとか、その配列の仕方が巧みだとかいう表現上の技巧を楽しむ傾向は非常に強かったから、こういう歌も十分もてはやされる条件を具えていたのである。しかし現代のわれわれはこういう歌を評価しようがないし、それで少しも構わないと思う。

 安東は〈「夏の夜」の歌はいわば詠み継ぎの手詰まりになつた時に生れた、和歌とは別の興であったと思う〉と言い、〈結果としてそれがつまらぬということにはならぬ。歌題の分化と連俳の将来に大きな役割を果たしたのは、歌合せなどよりむしろ百首歌という形式だったのではないか。文学史というものはそういう大切なことを見落としている〉として、この歌の歌としての評価よりむしろ連俳や俳句に与えた影響という文学史的な面を高く評価している。しかし一方では歌の遊戯化による退廃を進めたという一面も見落としてはならないだろう。こういう歌の傾向を進めた定家の功罪は両方の側面から見るべきで、新古今以後歌が急速に衰微して行った点を忘れてはならないはずである。

 

4、玉ぼこの 道ゆく人のことずても たえてほどふる五月雨の空    (拾遺愚草)

 

 これは女の立場で心変りした男の無情を恨んだ歌である。〈玉ぼこの〉は道に掛かる枕言葉だが、玉ぼこという音は何か華やかなきらきらしいイメージを引き起こさせる。ここでは〈玉ぼこの道ゆく人〉という表現が優雅な公達を想像させはしないか。

 〈(今宮廷に時めいている)あの方がわたしを訪れることもなくなり、文すらも来なくなってもう久しいが、今は何時止むともなく五月雨が降りつづいて、私は唯鉛色の空を見上げてため息をつくばかりなのです〉

 この歌、女の恨みとか悲しみよりもむしろ深々とした憂欝、倦怠が色濃く匂い、何かそれが生臭ささえ感じさせる。女の形を借りてはいるが、これは実は定家自身の心の在り方を示すものなのであろう。これを美と言うなら、内側に毒を秘めた弛緩と退廃の美とでも言うべきではあるまいか。しかしこの歌では定家も女に身をやつしながら自分の姿を現しているが、この後定家の姿は次第に歌の中からも消えて行ってしまうのである。

 

5、忘るなよ やどる袂はかわるとも かたみにしぼる夜半の月影    (二見浦百首)

 

 この歌は月に呼び掛けているのである。

 〈月よ、お前の光が宿る袂はわたしからあの人に変っても、わたしとあの人は真夜中に冴えわたるお前の光を浴び、代わる代わるお互いに会えない悲しみの涙で袂をしぼっているのだよ〉

 定家の歌には物語性があると言われるがこの歌などは正にそれで、歌から一組の男女の姿が浮かび上がってくることは確かだ。しかしこの歌を読んで感ずることは、その物語なりイメージなりがいかにも作り物の感が強いことである。男と女の喘ぐような息吹はどうしても感じられないのである。その結果現代の読者には何かもどかしい戸惑いに似た思いを起こさせることになるであろう。しかし当時の読者は歌の心に共感しようとしていたのではなく、この歌の物語がお芝居であるということは、作者との間の暗黙の約束事として了解しており、その上で表現の技巧の巧拙を楽しんでいたのである。宮廷歌壇というものはそういうものであり、歌に対する対し方はそういうやり方であったことを理解しないと、この歌は現代人には唯味気ないだけであろう。この歌を楽しめないのはまったく現代人の罪ではなく、この歌の持つ歴史的制約性があまりにも大きいためである。

 

6、なにとなく 心ぞとまる山の端に ことし見そむる三日月のかげ   (二見浦百首)

 

 〈ああ春が来たのだなあ〉と春を三日月で象徴させたところが定家独特である。何故なら三日月というイメージは痩せて鋭角的で寒々しく、どちらかと言えば冬を想像させるものだからだ。しかも三日月というのは本来の満月が大きく欠けたものであり、何か陰気で不吉な感じが付きまとうのに、定家は敢えてそういう材料を用いているのであり、そこが定家の定家らしいところかもしれない。この歌の表現は定家の歌には珍しくケレン味がないから、読み下せば歌意は自ずから通ずるし、またその通りで良いのであるが、強いて言えば〈何気なく目を上げるとうっすらと霞んでいる山の端に、ぼんやり三日月が懸かっている。その三日月の淡い姿にああ春なのだなあとふっと思ったものだ〉とでも言うことになるのだろう。問題は歌の意味よりそこに醸し出されている雰囲気なのである。それは春とは言えあやしく、もの憂く、暗い。〈なにとなく〉という言葉に生暖かい春の疲れたようなもの憂い気分が巧みにつかまえられている。〈ことし見そむる〉などという言い廻しは定家一流のひねりの利いた表現になっており、言葉の繋がりもなだらかでやわらかい。この歌の心は感情に達する前の一種の気分であり、疲れた優雅さとでもいう美を形作っている。高級なムード文学とでも言ったらいいであろうか。

 

7、つづきたつ 蝉のもろ声はるかにて 梢も見えぬならの下陰      (二見浦百首)

 

 この蝉の声は不思議に喧しくない。それは〈つづきたつ蝉のもろ声〉とやたらに喧しそうに表現して来たものをぽいと遠く高い梢の上に投げ上げ、そこへ〈梢も見えぬならの〉木の暑い夏の日差しもあらかた遮ってしまいそうな大木の〈下陰〉という、いかにも涼しそうなイメージを重ねているからである。言葉とその使い方が何とも作為的な代りにそこに流れる感情は割合率直で屈折がない。

 〈梢も見えないような楢の大木の涼しげな木陰で、その静寂に沁み入るような蝉の声にじっと聞き入っているわたしです〉と言った一種さわやかな情感が流れている。これも何か特殊な感情の歌ではなく、一種のムードの歌であるが、そういうものとしては見事に歌いのけて成功していると言ってよかろう。

 ところが実はこの歌はそう一筋縄ではいかないのである。定家は傍輩がどんどん出世してゆくにもかかわらず一向に官位が進まず、常にそのことにひどく拘泥しており、無念・怨みの感情をいくつもの歌に詠み込んでいる。

 ○位やま ふもとの雪にうずもれて 春の光を待つぞ久しき     (寿永元年 二十一才)

 ○群れていし 同じ渚の友鶴に わが身一つのなどおくるらん    (文治三年 二十六才)

 ○越す波の 残りをひろう浜の石 とおとてのちも三年すぐしつ   ( 〃     〃 )

  というような物欲し気で品格の落ちる駄歌も詠んでいるし

 ○道のべの 野原の柳したもえぬ あわれ嘆きのけぶりくらべに   (承久二年 五十九才)

 と詠んで後鳥羽上皇の勅勘を蒙ったことは有名である。そういう目でこの蝉の歌を読んでみると、定家には珍しい率直ですがすがしい情感をたたえた歌が、一瞬に何ともさもしい、いじましい、どうにも遣り切れない歌に変貌してしまうのに唯呆然として息を飲むのである。

 〈仲間のものはどんどん高い官位に昇ってしまって、わたしの手の届かないところで華々しく声を上げているのに、わたしばかりは宮廷社会の一遇に押しこめられて、誰の目にも触れない有様だ〉

 こういうところに定家という人の二重の性格と言うか、彼の心の中に開いた陰惨な傷口とでも言ったものを見てしまうのはまことに止むを得ないとは言え残念である。これは定家の隠しおおせなかった精神の恥部であったろう。

 

8、見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮       (二見浦百首)

 

 この歌は次の二首とともに新古今集秋歌の部に並べられ、世に三夕の歌として有名なものである。

 

      さびしさは その色としもなかりけり 真木たつ山の秋の夕暮       寂蓮

 

      こころなき 身にもあわれはしられけり (しぎ)たつさわの秋の夕暮      西行

 

 利休の高弟南坊宗啓の《南方録》には〈花紅葉は書院台子の結構にたとえたり。その花紅葉をつくづくと眺めきたり見れば、無一物の境界、浦の苫屋なり。花紅葉知らぬ人の初めより苫屋にはすまわれぬぞ。ながめながめてこそ、苫屋のさびすましたる所は見立てれ。これ茶の本心なりと言われしなり〉とあると言う。そしてこれは利休が師の武野(たけの)紹鴎(じょうおう)から直接聞いた話だそうである。これによっても書院台子から草庵の茶に移って行った近世初期の茶人たちの美の基準が理解できるが、そういう意味で定家のこの歌が後世に大きな影響を与えたことは疑いを入れない。唯注意したいのは茶人たちが定家のこの歌を評価したのは、彼らがこの歌から〈わび・さび〉という美を受け取って、書院台子からわび茶へ移って行ったわけではなく、彼らは自分たちのわび茶の美を保証するために定家の歌を傍証として利用したのであり、この歌を歌として高く評価したわけでもないのである。それは上掲《南方録》の文章を注意深く読めばわかることだ。

茶人たちは定家の歌を十分理解して読んだというより、自分たちの茶を正統化するのに極めて便利だということで自分流にこの歌を解釈したのである。花紅葉を絢爛豪華な書院台子の茶に、浦の苫屋を無一物のわび茶にというアナロジーで読んでいるのがその証拠で、浦の苫屋を無一物のわび茶の心境という読み方は、彼らが定家の歌からそれを受け取ったと言うより、そう読みたい彼らの期待感がやや強引に、ややご都合主義的にそう解釈させたという感じが強いのである。この歌を虚心に読んでみよう。

 この歌の世界は唯灰色一色に塗りつぶされている。まったく陰気であり生命の気配さえ見当らない。〈花も紅葉もなかりけり〉と断定的に言っているところはいかにも理に落ちて味気ない。しかも表現の上に感情のかけらも見当らない。だから読んだ後に残るものは何かはぐらかされたような、唯陰欝な気分だけである。作者の気持がまったくわからないから妙な不安定感に捉われる。そしてこれが美なのかと思う。後の〈わび〉とか〈さび〉とか言うものとも違うような気がする。何故ならこの世界には人間的な温もりの気配すらないからである。上の〈無一物の境界〉とか〈茶の本心〉とか言うものは、人工的・作為的な一切の捉われから自由な、それだけに爽やかな境界を言うのだと思うが、この歌には犯跡をくらましているように見えて、その韜晦の底に作者の裏返しのこだわりがやはり紛れもなく見えている。それを見付けてしまうと先に書いたこの歌の陰欝さとか、はぐらかされたような感じとか、不安定感とかは簡単に溶解してしまい、作者の一種のねじくれてひがみっぽい意図が透けて見えてしまうのではないか。

 〈花も紅葉もなかりけり〉と断ったところに、悪達者な犯人のついやり過ぎてしまったアリバイ工作の跡が歴然としているではないか。こう考えて来るとこの歌は定説のような新古今を代表する秀歌の一つだとは到底思えない。唯歌の評価とは別に新古今時代の歌人の感情世界が、すでに古今的暗い叙情による悲哀感すら失って、唯薄暗い絶望的な怨念のようなものに近付いていることは理解できる。尤もそういう感情世界の表現の仕方は、正に定家独特のもので、俊成や実朝や西行のそれとはかなり違っている。彼らの歌は確かに暗く哀しみに満ちているが、定家のように自棄的で裏返しの意味で攻撃的ではない。だから紹鴎の言というのはどうも眉唾的感じがするし、誤解だとしか考えられない。わたしはこの歌をもって定家的世界と〈わび・さび〉の世界を直接に結び付けるのはどう考えても見当違いだと思えるのである。

 ところで安東次男は定家の歌の周りをぐるぐる廻って探偵ゴッコをしているばかで、まことに面白くない。その歌が誰のどんな歌の影響を受け、どういう関連において詠まれたかなど、いくら推測してみても何の意味もないのではないか。こういう本を読んでいると、歌というものはその作家についての何十冊もの文献を漁り尽くしたわけ知りの専門学者でないとわからないと言うことになりそうだが、本当はそうではないだろう。歌人というものは三十一文字に命を賭るもので、三十一文字だけで評価されて以て暝する覚悟がなくてはなるまい。また歌を鑑賞する側も三十一文字だけで鑑賞して不都合なはずがなく、その歌が作られた時代の歌についての基本的な約束事さえ知っていれば、その歌が何処で、何時どのような状況のもとに詠まれたかなどということは知らなくたって、鑑賞の障りになるはずがないではないか。この〈見渡せば〉の歌なども、歌そのものと定家という人物を結びつけて考える程度で、その意味するところははっきり浮かび上がって来るはずで、何よりも歌そのものをしっかり読み取ることこそが一番大切だという気が強くするのだ。

 先ずこの歌の文字か示す通り素直に読んでみよう。

 〈見渡すと薄暗く暮れかかったもの寂しい海岸に、すがれた一軒の漁師の小屋がみえるだけだ。誰の目を引くこともないうらぶれた姿で、そこには花や紅葉の華やかな色彩のかけらもない〉

 ここで〈浦の苫屋〉とは彼自身ではないにしても、彼の心の象徴であることは確かだろう。と言うことは彼の心はまったく孤独であり絶望している。その孤独と絶望を作家はどう受け取っているか。定家は決して自分の心の内を見せない。孤独と絶望の象徴を〈浦の苫屋〉に物化して鑑賞者の前に放り出すだけである。ヒントも与えないのだ。ヒントになるものは〈花も紅葉もなかりけり〉という定家の説明だけである。しかしこのヒントだって何とも不親切なヒントで否定的事実の叙述だけである。だからこの事実をどう解釈するかはまたいろいろな方向があり得る。作家がこの歌でほんとうに何を言おうとしているのかは、読者は推測を廻らすことができるだけで確定できない。つまりこの歌の構造は作家の心をしっかり捉えることが不可能なようになっている。鑑賞者の心に広がる戸惑い、苛立ち、不安定感はそこから来る。作家は完全に自己の姿を韜晦しているのだ。したがって作家の孤独と絶望はまったく彼個人のものであって、普遍的にものにはならず、普遍的な共感を呼ぶことはない。むしろ作家は普遍的な共感を拒否しているようにさえ見える。

 美というものが作家と鑑賞者の間の共感に基づいて成立するものであるならば、定家のこの歌における姿勢からは美は生れないのである。この歌の解釈が昔からいく通りもあるのは当然のことであって、作家はそれぞれの毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)を遠くからにやにや笑って見ているような気がする。そういう悪意が感ぜられる。もしこの歌の真意を推測するとすればそういう作家の基本的姿勢から考える以外に方法はあるまい。

 先にも述べた通り近代初期の茶人たちのように、自分の立場に引き寄せての解釈では誤解に陥る他はないであろう。そういう解釈は正に定家の仕掛けた罠にはまったもので、定家は泉下で彼らを軽蔑しているかもしれない。これは決してひねくれた言い方ではないのである。ことによると作家の本心は浦の苫屋のように見捨てられうらぶれている自分の境涯を嘆き、花紅葉と時めいている人々を恨んでいるのかもしれない。それはあまりにも悪意ある解釈だと言う人がいるかもしれないが、この歌はそういう解釈をも許すような構造になっているのだから、例えそれが誤解であっても誤解した人を責めることはできないし、殊によるとそれそこが正解であるかもしれない可能性だってあるのである。問題は作家の側にあるのであって鑑賞者の側にあるのではない。何れにせよわたしはこの歌は解釈の仕様のないどうしょうもない歌だと思う他はないのである。

 

9、あじきなし つらきあらしの声も憂し など夕暮に待ちならいけん  (二見浦百首)

 

 〈来るはずのない人を待ちながら聞く嵐の音は何とも味気なく、心につらくて遣り切れない。どうして夕暮になると当てもない人を待つという習慣がついてしまったのだろか〉 

新古今集所載の歌である。当時は恋人を待つのは女の側であったから、これは定家が女の立場で詠んだもので女の重い溜息が聞こえてくるような歌である。だが何処か違っている。何故だろう。〈など夕暮に待ちならいけん〉という下句の表現が、上句の激しく畳み掛けるような迫った調子に対してあまり常識的で軽いのである。つまり上句に対して下句が妙に息が抜けてしまって腰砕けに感じられるのである。ここはもっと粘った表現で受け止めるべきではないか。読者は上句でぐんぐん歌の中に引き込まれるが、下句へ来てぽいと肩透かしを食わされたような思いをさせられることになる。唯ここには一種けだるい性に対する執着のような気分が流れていて、男を知ってしまった女のある崩れた艶かしさが立ち昇っている。これは定家一流のダダイズムであろう。作家の心の中に潜む感情はと問えば、それはもちろん喜びではないがまた哀しみとも違う。率直に哀しむ心を失ってしまった、何か弛緩した物憂さとでも言ったものであろう。そして、この歌の美と言えば健康な美ではなく、()えかかった妖しい美しさである。こういう美は定家特有のものであるが、それは現実の人間世界に対する彼の絶望的意識を裏書きするものであろう。定家という人は父の俊成をも超えて正二位という高官にまで這い上がったにもかかわらず、一生をすね通したようなところがあり、彼の芸術はダダイズムに貫かれていたと言って良いと思われる。尤も彼は一面においてはたいへんな伝統主義者でもあったから、そういう点で彼の大系は完全に矛盾の大系であり、彼自身が正に矛盾的存在であった。

 

10、あじさいの 下葉にすだく蛍をば よひらの数の添うかとぞ見る  (殷富門院大輔百首)

 

 下句の〈よひら〉というのは咢あじさいの花弁が四枚であるところからの名らしい。

 〈あじさいの下葉に集まっている蛍の光が、咢の花弁が寄り添っているように見える〉

唯これだけの歌である。何とも理屈っぽい現実感のない歌で味気ない。着想の面白さに寄りかかり、言葉の優雅さだけで支えている歌だが、当時はともあれ現代の読者まで引き込む力はない。もっと率直に詠めば寂しげな薄紫のあじさいと青白い光の蛍との取り合わせはすがすがしく、哀愁を帯びた美を作り出せたと思う。わたしはこういう歌は取らない。

 

11、あしがきの 人目ひまなきまじかさを わけてつたうるまぼろしもがな  (殷富門院大輔百首)

 

 この歌は言葉の手が混んでいる。〈あしがき〉は〈まじかさ〉に掛かり、葦垣が間を詰めて編むのでま近さと言ったのであるが、それは〈人目ひまなき〉つまり人目が多くてその目を逃れる隙間がないというのに更に掛けてあり、その人目をかい潜ってと言うのを、〈まじかさをわけて〉つまり狭い編目を広げてと言ったのである。これはあまり技巧に走り過ぎて、幻でもいいから会いに来てほしいという切実な恋の訴えがむしろ水か薄まってしまったように思える。やはり技巧倒れの歌としか見られまい。唯〈まぼろしもがな〉言うあたりは定家特有の物憂い妖しさが匂っていると言えよう。

 

12、かえるさの ものとや人のながむらん 待つ夜ながらの有明の月   (閑居百首)

 

 新古今集恋歌の部所載のうたである。これも女の立場で詠んだ待恋の歌だ。

 〈有明の月というものは世間の人は後朝(きぬぎぬ)の別れに眺めて歌に詠むものだと思っているようだが、わたしはその有明の月を来ぬ人を一晩中待ちつづけた挙句今こうやって見ているのだ〉

 これは最もいけない例だろう。作者にまったく感動がなく機知と理屈だけで作った跡があまりにも明白だからだ。ことに常識を引っ繰り返してどうだとしたり顔をする定家の悪い趣味がまともに出てしまった。こういう歌では読者は騙せないという気がする。例えば  有明の つれなく見えしわかれより 暁ばかり憂きものはなし

 この壬生(みぶ)忠岑(ただみね)の歌も女の立ち場で詠んだものだが、ここでは哀しみの感情が素直に流れて来る。これは二人の作家の人間観の相違が明白に現われた例で、定家はすでに人間を信じていないのに対して、忠岑は信じがたくはなっているけれどなんとかして信じようとしている、その違いであろう。信じない人間は物憂いが信じようとしている人間は哀しいのである。

 

13、すまの(あま)の 袖にふきこす潮風の なるとはすれど手にもとまらず   (皇后大夫百首) 

 

 この歌も新古今集恋歌の部所載の歌だ。終始海の縁語で構成してある。〈すまの蜑〉は須磨の海女、そして潮風、〈なると〉は「馴ると」と「鳴門」に掛けるといった具合だ。 上句はすべて〈なる〉に掛かる序詞で意味はない。歌意のあるのは下句だけで、

 〈あの人はわたしに馴れては来たがまだわたしのものにはならない〉というだけのことである。こういう歌は手が混み過ぎていて歌の心が何処かへ行ってしまっており、まことに無味乾燥な感じがする。

 

14、まつ人の 麓の道はたえぬらん 軒ばの杉に雪重るなり        (良経第雪十題)

 

 新古今集冬歌の部所載の歌。

 〈待ちわびていた人が登って来るはずの麓の道も雪に閉ざされてしまったに違いない。この山家の軒に迫っている杉の枝にも雪が重くのしかかっている〉

 この歌も女の立場で詠んだ待恋の歌だが重くて暗い。〈杉に雪重る〉いう表現は、杉の枝に厚ぼったい雪の衣がかぶさって、枝が垂れ下がっているさまが実にうまく描写されているが、その重さが作家の心の重さに重なっているところなどは、歌全体がまことに素直に詠まれているだけに、巧まざる技巧として強い表現効果を上げている。もう待っても来る望みのない絶望感とその哀しみが暗く流れており、その心の風景の色彩は冷え冷えと単色で、わびしさの中にしみじみとしたものを感じさせる。殊によると恋人は雪が降らなくても来なかったのかもしれず、雪は女の望みに最後の止めを刺してしまったのだ。此処には作家の心の震えがじわじわと迫って来るものがある。こういうのが新しい美、〈さび〉なのではなかろうか。

 この歌は恋歌の形になっているが、恋歌と取らず世を捨てて山家に一人棲む人の人恋しさの歌として読んでも一向に構わないし、そう読んでもこの歌の力は少しも変らない。むしろそう読んだ方が人間という存在そのものが持つ孤独が浮かび上がって来ていいと思われる。定家の歌にしては少しも韜晦したところのない珍しい歌であるが、これもまた定家であることは間違いない。秀歌である。

 

15、ふりにけり たれかみぎりのかきつばた なれのみ春の色深くして   (重奉和早卒百首)

 

 これは慈円の〈早卒百首〉に再度和して詠んだ百首歌の中の一首。〈みぎり〉は で庭のことだが、〈見切る〉にも掛けている。これも女の立場で詠んだ歌だ。

 〈あの人が自分に見切りを付けて来なくなってしまってからもう久しい。ふと見ると庭には杜若が咲きこぼれている。ああ、お前だけは忘れずにわたしのところへ春の深い色をたたえて帰って来てくれたのだね〉

 第一句にいきなり〈ふりにけり〉言い切ったところに女の深い哀しみ滲んでおり、〈たれかみぎりの〉と言う第二句に自分を裏切った無情な男への強い恨みが訴えられている。 そしてこの強い感情が反転して〈なれのみ〉と閉じ込められた男への愛が杜若(かきつばた)をいとおしむ感情に転換して行く。このあたりの変化は手は混んでいるものの詠むものへ抵抗感は与えはしない。詞の操作が巧みで歌の展開に滞りがないためであろう。殊に〈なれのみ〉とか〈色ふかくして〉には余情があふれ、一種の悲哀の美と言うか感傷の快い甘さが匂っている。その美意識はむしろ古今的で、定家の歌としては異色に属するだろう。

 

16、松虫の 声だにつらき夜な夜なを はては梢に風よわるなり      (重奉和早卒百首)

 

 上句はまことに素直で去って行った恋人に対する執着の余情が切実に語られている。ところが下句がどうにもわかりにくい。ことに〈風よわるなり〉の意味がつかみにくい。理屈で考えれば風が弱まれば松虫の声が高くなる道理だから、これは松虫の声だけが高く耳について風さえ声を潜めているという意味だろう。それともう一つ、〈風よわる〉には風だけでなく自分の身も心も弱って行くといった感じも漂っている。

 〈来る夜も来る夜もただあの人を待ってつらい時を過ごしていると、松虫の澄んだ鳴声がしんしんと身にしみるようで辛いのに、梢を吹く風までが息を潜めてしまって松虫の鳴く音がさらに一層身にこたえるのです〉

 少しむつかしい歌だが、こういうふうに読むと頼りない女の孤独と悲哀がしんしんと訴えて来て、感傷的ではあるがかなり強い歌になっている。

 

17、草の庵の 友とはいつかききなさん 心のうちに松風の声       (重奉和早卒百首)

 

 〈浮き世の戦いに疲れ果てたわたしの心の中に蕭々と松風の音が通り過ぎて行く。今はまだこの現世を捨てきれないわたしだが、何時かは遁世出家して山奥に草の庵を結び、この松風の音を友として心静かに過ごしたいものだ〉

 歌意は概ねこんなところであろう。現世的執着心の強い定家の心をふとよぎった素直な心境が歌われていて好感が持てる。殊によるとこれが定家の心の奥底にある真実であったのかもしれない。一種のポーズのような感じもするが、そこまで疑ってかかるのはやはり妥当ではあるまい。しかしこのように正直な歌に出会すとついつい下衆の勘繰りのようなことをしてみたくなるのは、この歌が他の歌とあまりにも違っているためで、そういう点で定家という人は損な人なのである。

 

18、さむしろや 待つ夜の秋の風ふけて 月をかたしくうじの橋姫    (花月百首)

 

 新古今集秋の部にも載せられている有名な歌である。

 〈煌々と冴えわたる秋の月。陰一つない宇治の河原に氷りつくような風が吹きわたって行く。来ぬ男を待ってむしろに身を横たえ、月光をまともに浴びた遊女の姿が一つ、動こうともしない〉

 氷りつくような凄絶な美しさである。あまりにも冷たく凝結しているので何とも近寄りがたい感さえある。これはあくまで現実の人間世界ではなく、絵画の世界、白と黒だけで表現された切り絵の世界のように思える。こういう幻想的な美は読者の心の中に人間的イメージを広げることはない。何故ならばイメージを広げるための作者の感情の火種が歌の表現の上だけでなく、歌の奥底の何処にも見出すことができないからである。つまり定家はこの歌を主体的人間として作っているのではなく、あくまで人間の傍観者として、人間(橋姫)を彼の観念美の世界を構成する上の一つの材料・物として扱っているのである。 この歌を読んで作者自身がこの橋姫にたいしてどんな感情を抱いているのかはまったくわからない。それはわからないはずであって、作者はそもそも橋姫に対して何の感情も抱いていないからである。だからこの歌の橋姫の体には暖かい血が流れておらず、一個の精巧でこわいほど美しい人形でしかないのである。と言うことは作者が自らの存在を完全にくらましており、読者は作者そのものをどうしても捉えることができないような構造になっていると言うことだ。この美の世界は真実の美の世界ではなく、あくまで虚構の美の世界なのである。こういう人間的な中身の詰まっていない美をも美と称すべきかどうか、このことがむしろ問題にされるべきであろう。何れにせよここからは〈さび〉美は生れようがない。

 

19、すぎがてに 摘めどたまらぬ唐薺(からなずな) うらわかくなく鴬の声        (一字百首)

 

 〈早春の野をぶらぶら歩きながら唐薺のやわらかい緑を摘み摘みゆくと、まだ啼きなれない鴬のぎごちない啼声が聞こえて来る。摘み取った若菜はちっとも増えてこない〉

 定家には珍しい若々しく瑞々しい明るい歌である。実にすんなり詠んでいて少しもひねくり廻したあとがなく、早春の情感がのびのびと歌われている。この歌の感情にはまったく影がなく、単純で清潔な生の喜びが溢れていると言って良かろう。この歌には古今をも超えて万葉の世界をさえ感じさせるおおらかな人間の姿がある。

定家にこんな率直な歌もありこれがあの定家かと思わせるが、人間というものはまことに多面的な存在であり、これもまた定家の真実であることは間違いない。それにしても定家という人はたいへん複雑な人格の持主だったということは確かである。

 

20、虫の音は 寝さめの夢におぼえつつ 秋の春にもなりにけるかな      (一字百首)

 

 この歌は前の歌とともに定家二十九才の折の〈一字百首〉という即吟即詠の歌の中の一首である。〈一字百首〉と言うのは時間を限って百首を詠むという宮廷社会の遊びの一種であるが、この時は建久元年六月二十五日に三時間で百首を詠んだのだと言う。

 とすると一首平均二分足らずで休みなく詠み続けたことになるが、ちょっと凄まじい感じがする。したがってこういうものの中で名歌を詠むということは至難の技であり、それだけに本歌や証歌を尋ねるゆとりはなく、技巧を懲らしている余裕もない。そこで反って歌人の心が素直に流れだすことにもなる。その代り字面だけ整えた駄句ばかりが積み重なるるのは止むを得ない。

 〈すぎがてに〉はその良い方の例であり、この〈虫の音は〉は悪い方の例であろう。

 〈覚めぎわの夢の中で聞いた虫の声が耳に残って、ああ秋だなあと思って目覚めてみると、実は春の明け方なのであった。秋から一遍に春になってしまったなあ〉

 しかしこういうことは事実あったかどうかは別として、読者はどうにも馴染めない違和感に捉われざるを得ない。それは〈秋の春にもなりにけるかな〉という意外性を狙った表現から来ている。この意外性がすんなり受け入れられれば機知が機知として生きて来るのだが、それはやはり無理なようであり、読者はこの意外性に大きな抵抗を覚えて踏みとどまってしまう。だから定家の狙いは外れ、機知が宙に浮いてしまって、読者の側に当惑ばかりが残るのである。定家の悪い面がまともに出た例であろう。

 それにしても当時の宮廷歌人というものは、三時間に百首を詠むというアクロバット的な作業を強いられ、しかもその結果である作品によって歌人としての力量を評価されるというのだから、何ともまことにたいへんな職業であった。

 

      21、これまでも 心こころは別れけり 奈苗代水もおのが引き引き     (一句百首)

 

 〈一字百首〉に続いてその翌日の建久元年六月二十六日、〈一句百首〉という形で詠まれた百首歌の中の一首だと言う。この日は十時間かかっている。さすがに二日目は前日のような猛スピードは出なかったようである。それにしても二日続きで百首づつ詠むというのはちょっと想像を絶する職人芸であるが、まったく驚異に値する。彼らはこういう訓練をすることによって職業歌人としての能力を磨いたのであった。この歌は社会に対する軽い風刺の歌であって、一種の滑稽味を含んでいる。

 〈何のかのと言っても今までだって人間の心はばらばらだった。苗代の水を引くのだって、みんな自分の田に少しでも余計に引き込むことばかり考えていて、他人のことなんかちっとも考えてやしないでしょう。われわれも結局はそんなものなんですよ〉

 一種投げ遣りな言い方で、上句の調子だととりつくしまがなくなってしまうのだが、最後の〈引き引き〉という軽口のような表現で救われている。他人だけが自分勝手をやっていると非難しながら、自分も結局同じことをしているのに気付いていない可笑しさが、〈引き引き〉という四文字で実にうまく表現されておりさすがである。この〈引き引き〉で歌全体がたいへん軽やかなものになっている。こういう滑稽味のある歌というのは定家のような気むづかしい男の作品としては正に異色であり、こんな例はほとんどないと言っていいだろう。

 

22、思うこと 誰にのこして(なが)めおかん 心にあまる春のあけぼの      (一句百首)

 

 これも同じ〈一句百首〉の中の一首である。ケレン味のない率直な歌で結句の〈春のあけぼの〉が妖しい艶かしさを浮かび上がらせるように作られている。この場合〈心にあまる〉はやはり恋心を内に秘めた表現であろう。そう見ないと〈春の曙の情感は心にあまるものがあるが、歌に作って誰に遺してやればいいのか〉というだけのものになってしまって、特に面白いことにはならない。

 〈生暖かい春の明け方、目を覚ますとたちまち切ない思いに捉えられ、心がつぶれそうなほど遣る瀬ないのです。この思いを歌に托して伝える相手はあなたをおいてほかに誰があると言うのでしょう。ほんとに悪い人〉

 この歌には〈春の夜の夢の浮橋〉の歌と似た何かけだるい退廃した美感が漂っている。しかし安東のように〈心にあまる〉を源氏物語の中に出所を求め、定家がそれを踏まえてこの歌を作っているというのはいささか余計なお節介に属するのではあるまいか。そこまで知らないとこの歌が鑑賞できないと言う訳ではないし、探偵が必ずしも真犯人を捉えているか、見当違いを追い掛けているかは誰も証明できないのである。そういう詮索をしなくてもこの歌の持つ内容は十分鑑賞が可能であろう。

 

23、かすみたつ 峯のさくらのあさぼらけ くれないくくる天の川波    (良経第花月百首)

 

 この歌は同じ建久元年九月十三夜右大将良経第で行なわれた〈花月百首〉の内の一首。読み下してみると上句と下句との結び付きがすっきりせず、一度や二度読んだのでは画いている情景がはっきり浮かび上がって来ない。それは下句の言葉が難しいからで、〈くれないくくる〉が紅の括り染めにするという意味であることはわかるとしても、〈天の川波〉という表現が「天の川」の波という意味なのか、それとも雲のたたずまいが川の表面の小波のようだと言うのかと迷うこと、もう一つは霞の掛かった桜のおぼろげな色と紅という鮮烈な色との対比があまりにも唐突なことから来る戸惑いによるものであろう。 

 〈春の朝目覚めて窓の外を眺めると、春霞が山の峯に咲く山桜の淡い色彩と溶け合って夢のように漂っているが、その上の空は川の表の小波のようなだんだらの雲が括り染めのように鮮明な紅に染め上げられて目を驚かすのである〉

 定家一流の技巧の歌であるが、下句はやはりついて行きにくいものがあり、その技巧は必ずしも成功しているとは思えない。それと上句と下句の転換の仕方、あまりにも対極的な色彩の採用はやはり歌全体の統一を壊しているように思える。やや悪達者に過ぎた歌ではあるまいか。

 

24、花の香は かおるばかりをゆくえとて 風よりつらき夕やみの空     (良経第花月百首)

 

 わかりにくい歌である。〈花の香は〉と言う場合の花は桜と解するのが普通であるが、桜に香りはないからここで先ず戸惑ってしまう。さらに〈ゆくえとて〉という言葉が前の〈かおるばかりを〉との繋がりが悪く意味が取りにくい。次いで〈風よりつらき〉と続くのであるが、桜は風に散るもので風が仇ということになっているから、風より夕闇がつらいというのが引っ掛かる。つまり始めから終わりまで何が何だかわからないという寞々(ばくばく)たる感に捉われる。

 安東は〈現代感覚にはむしろよくわかる歌で説明抜きで共感し得る人もあるだろう〉と言っているが何故そうなのかまったくわからない。ところが安東は続けて〈「かおるばかりをゆくえとて」とか「風よりつらき」を気にし始めたらこの歌はとたんに朧気なものになってしまう〉と言っているのだが、これでは前後撞着して支離滅裂ではないか。

〈気にし始めたら〉と言うが、気にするしないは別にしても、そもそも意味がわからなければ〈よくわかる〉とか〈説明抜きで共感を覚える〉などということが有り得るはずがない。この後の安東の説明によれば、この歌は同じ年の二月十六日七十三才で入寂した西行の死を悼んだものだと言う。それならそれで詞書でもなければこの歌はわかるわけがない。 〈花のもとにてわれ死なん〉と詠んだ西行に寄せる歌として見てさえ、この歌は難解で読んだだけでわかるというようものではない。もしわかるとすればそのわかり方は十人十色で、みんな唯感じだけで勝手に受け取っているだけのことではないのか。

 一応西行=花と置いて解釈してみると、〈西行法師の人とその歌の誉れは高く香っているけれど、西行その人が闇の彼方へ行ってしまったのは、風が花を散らすのよりも何よりもつらいことだ〉いうことになろうか。しかしこれは字面からは決して読み取れないところであって、そういう背後の事情と切り離したらこの歌が独立して成立し得ないのだとしたら、この歌の価値はどういうことになるのだろうか。

 敢えてこの歌の意味を考えてみると、花というのは香りを問題にしているのだから桜ではなくてやはり梅と見るべきであろう。

 〈梅の薫りが流れて何とも言えない春のたたずまいだ。しかし何時か夕暮が迫って花は闇の中に沈んで消えていく、それは風で薫りが吹き散らされるのよりももっとつらい〉

 だいたいこんな意味だと思うのだが、それでもあんまり歌が胸に落ちたような気はしない。何れにせよ無理にひねり出した歌だからやはり失敗作と見るべきであろう。

 

25、山ふかみ 岩きりとおす谷川を 光にせける秋の夜の月        (良経第花月百首)

 

 この歌は色彩の対称を強調した歌でその効果は的確に出ている。

 〈深山の色濃い闇を切り裂くように流れ下る一条の谷川が、秋の冴えわたった月光を浴びて、月の光そのもののように走り落ちて行く〉

 鋭く張りつめた世界である。しかしこれも作家の内的世界との関連から考えるとやはり作家の心の外の世界であり、〈さむしろや〉の歌と同じく作為的な絵画の世界である。したがって読者も安心して鑑賞者の立場に踏みとどまっていられるし、読者に厳しく迫って来るものはそれほど強くはない。さらに言えば読者の心の中に残って何時までも存在を主張しつづけるような何物かは別にない。これもまた定家流の虚構の世界に過ぎない。言葉について言えば〈光にせける〉が最後までしつくりした感じを与えない。月が自分の光に似せているという表現の仕方はどう考えてもややこしくて呑み込みにくい。何よりもいけないのは作家が歌の表現から自己を韜晦していることであろう。歌の心がわからないのでは定家が《近代秀歌》や《毎月抄》で主張する有心体重視の考え方とも背馳している。

 尤もここまでの歌はすべて定家三十才以前の歌であり、《近代秀歌》が四十八才、《毎月抄》は五十八才の時の著書であるから、定家も年令を重ねるにしたがって歌に対する考え方が次第に変化して行ったものであり、この当時はまだ歌についての考え方がはっきり固まっていなかったのがよくわかる。

 

26、かきくらす のきばの空のかずみえて ながめもあえずおつる白雪   (十題百首)

 

 建久二年十二月右大臣良経に詠進した百首歌の内の一首。この歌は〈数みえて〉という言葉か難しい。こういう言葉は定家独特で、読者は初めての言葉に出会って戸惑わざるを得ない。だから読み下して歌の意味がするりと胸に落ちないのは止むを得ない。〈数みえて〉というのは単純に解釈して数が見える、つまり一つ一つの形が見えるから数えられるという意味であろう。

 〈薄暗く曇った空からひっきりなしに落ちて来る無数の白雪は、目の前の世界を白一色に消し去って降り積もって行く〉

 薄暗く曇った空から無限の細片がひっきりなしに落ちつづけ、自分の周りは只白一色の世界、その世界の中にたった一人小さな点となって埋もれていく、そういう人間世界からまったく隔離され孤立化して消されてしまいそうな孤独が鋭く浮かび上がって来る。ここには作品の世界を徹底的に客観化しながら、ついにどうしても客観化し切れなかった作家自身の生の心の片鱗が、わずかに痕跡を残しているように思われる。したがって作家の生の心の片鱗を捕まえ損なってしまうと、只〈とめどなく雪が降りしきっている〉というだけの味気ない叙景歌になってしまう。この歌はそういう危ないバランスの上に成立しており、そのぎりぎりの限界まで対象を客観化したのは、作家の人間に対する追求が厳しかったからであり、それだけに歌に埋め込まれた孤絶の美は深い奥行を持ったのであろう。この歌を〈駒とめて〉の歌と比較してみると、主体的な歌い方と傍観的な歌い方の差ははっきりわかるのである。〈さび〉美と言うならこの歌こそ〈さび〉の美だと言うべきではあるまいか。

 

27、うつ波の 間なく時なき玉かしわ たまたま見ればあかぬ色かも    (十題百首)

 

 この歌で難しい言葉は〈玉かしわ〉である。玉は美称だから〈かしわ〉が問題だが、樫岩または堅岩だと言う。

 〈海辺の岩に絶え間なく大きな波が打ち寄せ、その度に岩は波の下に姿を消すのであるが、たまたま波が引いた時見ると何とも言いようのない美しい色合の岩である〉

 〈玉かしわたまたま〉と言葉の遊びでリズムを付けているが、そのため歌全体が軽くなり意味も浅いものになってしまった。こういう歌は定家が《毎月抄》で言っている〈景気の歌〉といったもので、百首歌を詠む中ではすべてを勝れた歌に仕上げることはできないから、歌にこれと言った心はなくとも歌の姿や言葉が整っていて何となくまとまっている歌を挟んで行かざるを得ないのである。おそらくこの歌などもそういった歌の一首なのであろう。

 

28、屋戸ごとに 心ぞみゆるまどいする 花のみやこのやよいきさらぎ    (十題百首)

 

 この歌で定家独特のものと言えば〈心ぞみゆる〉という表現と〈やよいきさらぎ〉と順序を逆にしたところであろうか。

 〈この華やかな都では春を待つ心がふくれてくる二月の頃や、春たけなわの三月になると、どの家でもどの家でも家族の団欒に何か華やいだものが漂い、その人々の心が手に取るようにわかるような気がするのである〉

 ここでは定家一流の心の在り様は影を隠し、極めて人間的な暖かい心がゆったりと流れている。やはり速吟という形は定家にも構える暇を与えないという面があるように思われる。こういう一面も確かに定家の一面であろう。唯一言だけ付け加えれば、この歌の調子には何処か高いところから庶民の生活を見下しているような貴族的に臭みを感じないでもない。それはおそらく〈屋戸ごとに〉いう第一句から来るもので、この表現には定家自身の家は含まれていない感じが残るからである。

 

29、風立ちて 沢べにかけるはやぶさの はやくも秋のけしきなるかな     (十題百首)

 

 先に述べた〈景気の歌〉というのは歌の形としては概ね叙景歌であり、さらりと詠んで一種の気分を出せばいいわけであるが、この歌やそれに続く二首などはそんな感じの歌である。

 〈なんとなくひんやりする風が頬をよぎり、谷間を隼が掠めるように飛んで行くのを見ていると、ああ早くも秋が近付いているのだなあと、一種爽やかな思いに駆られるのである〉 

 まあそう言った感じでそれ以上のものではなさそうである。しかしこれはこれなりに美しい歌であり、〈はやぶさのはやくも秋に〉と〈はやくも〉を〈はやぶさ〉と〈秋〉の両方に掛けた技巧もとくに嫌味はない。秋口の爽やかな気分が実にうまく表現されていて、作家の技量のなみなみでないものが感じられ佳品と言って良かろう。

 

30、夕立ちの 雲間の日影はれそめて 山のこなたをわたる白鷺        (十題百首)

 

 〈激しい夕立が上がって切れてゆく雲の間から明るい日差しが差し始め、山のこちら側を白鷺が翼を輝かせながらゆっくり渡って行く〉

 うまい歌だ。絵画的な面白さは絶妙で、〈わたる〉という言葉に白鷺が優雅に飛んで行く姿が的確に捉えられている。歌の心がどうという歌ではないが、作者の味わっている情感がやすやすと伝わって来るところが良い。小品ではあるが完成度が高い。

 

31、人とわぬ 冬の山路のさびしさよ 垣根のそばにしととおりいて      (十題百首)

 

 定家の歌で〈さびしさよ〉などと感情を直叙した言葉が使われるのは極めて珍しい。しかし定家の場合はこういう言葉を使っても歌全体が安易な感傷に流れないところはさすがである。この歌でわかりにくい言葉は〈しとと〉であるが、これはホホジロ、ホホアカ、アオジの総称だそうである。そこで〈しとと〉がわかればこの歌の表現はまことに率直で平明だから歌意はおのずから明らかだろう。

 〈誰一人訪ねて来る人もない草の庵への山路は、草も木も枯れ果てて音一つしない寂しさだ。ホホジロが一羽垣根の辺りで何かをついばんでいるばかりである〉

 垣根の傍にホホジロを一羽置いたことが山家の寂しさを一段と深いものにしており、それが作家の孤独な心の象徴になっている。〈しとと〉という言葉の音も何やらひっそりと寂しくて良い。先に〈景気の歌〉の一種と言ったが、この歌はそれを超えて〈さび〉の世界に踏み込んでいるかもしれない。

 

32、時わかぬ 波さえ色にいずみがわ ははその森に嵐ふくらし      (六百番歌合)

 

 〈何時も変わることのないいずみ川の水の色が流れ下る紅葉で紅に染まっている。川上の「ははその森」に秋の嵐が吹き荒れているのであろう〉

 〈ははそ〉はと書き地名である。この歌が出来た建久四年の二月十三日定家は母を失っており、有名な〈たまゆらの露も涙も〉(後出)の歌をこの「六百番歌合」で詠んでいる。この歌も亡き母に対する哀傷の歌だという解釈があるが、詞書がないのでわからない。つまり〈ははそ〉を母に掛け、嵐を母の命を吹き消したものに、そしていずみ川の紅の色を母を思う定家の紅涙に擬するのである。なるほどこの歌はそういう解釈に十分耐えられるようにできているから、定家の意図は確かにそうであったかもしれない。しかしそれはあくまで定家自身の個人的事情・感懐であるから、でき上がった歌とは無関係である。そこで歌そのもので評価するならばいかにも理に走った作り歌で、それならそれで余程機知が利いていないと面白くないのだが、歌の仕掛けはどちらかと言うと月並みであり取るに足りない。定家の個人的事情を別にすれば、この歌には読者に訴えるだけのものは流れていない。取り柄と言えば激しく流れる水に紅葉の紅を散らした動的色彩感であろう。新古今集秋の部に採られているが、当時の宮廷歌壇はどのような評価をしたのであろうか。現代のわれわれにとってはどうも価値ある歌とは見えないのである。

 

33、なびかじな あまのもしお火たきそめて 煙は空にくゆりわぶとも    (六百番歌合)

 

 〈わたしの心海女が藻を焼く煙のようにくすぶりたゆたっているけれども、わたしがどのように胸の中で血を流しても、あの人がわたしになびくようなことはよもやあるまい〉 

おそらく身分の低い女の片思いを歌ったものであろう。ひどくくねった調子で歌の表情は陰欝で暗い。そこがいかにも定家らしく、不健康な歪んだ美の世界がくり広げられている。この歌の何か呪うような響きは、女の歌にはなっているが定家自身の秘めた部分の反映であろう。新古今集恋の部に載っているが、当時の恋の感情は古今集の恋の歌と比べても一段と暗さを増していることを示す好例であろう。

 

34、年もへぬ いのるちぎりは初瀬山 おのえの鐘のよその夕暮      (六百番歌合)

 

 この歌は予備知識のない現代人が読んでも何のことかさっぱりわからない。それは言葉に特殊な意味が含まれていることと、複雑な倒置が行なわれているためである。先ず上句は〈初瀬山祈る契りは年も経ぬ〉と読まないと意味がわからない。そして初瀬山とは恋の成就を祈るところであり、だから上句の意味は〈初瀬山に恋の成就を祈り続けてもう年久しくなる〉ということだ。下句は〈祈願成就の鐘の音は余所の人のために鳴り響いても、自分の周りには暗い夕闇が立ちこめるばかりである〉というのである。この歌は作者の物憂い孤独が陰気にたゆたっているが、あまりにも技巧を凝らし過ぎでついて行きにくい。 初句を大胆に〈年もへぬ〉と言い切ったところに作者の深い嘆きを聞き取ることができるけれど、やはり使い過ぎた技巧が邪魔になる。〈よその〉という言葉には少々自棄的な匂いがまつわりついていて、初句の深い嘆きを浅いものに変えてしまっている。つまりひがみの歌のように聞こえてしまうのである。定家という人は生涯を通じて社会に対するコムプレックスに取り憑かれていた人であったから、こういうところについ裸の心が覗いてしまうのだろう。

 

35、わすれずば なれし袖もや氷るらん ねぬ夜の床の霜のさむしろ     (六百番歌合)

 

 この歌も新古今集恋の部所載の歌だがそれほど良い歌とは思えない。

 〈決して心変わりしないと言って別れて行った人は訪ねて来ない。あなたとのとも寝に慣れた袖に落ちる涙に、月の光だけが空しく輝き、わたしのさむしろの床は霜で氷っている。あなたさえ来てくれれば・・・〉

 本歌取りの月並み調で、言葉が優雅なだけで訴えて来るものはない。作り物は作り物でしかないという例であろう。

 

36、かすみあえず なおふる雪に空とじて 春ものふかき埋火のもと    (六百番歌)

 

 この歌で読みにくいところは〈ものふかき〉という聞き慣れない言葉であろう。〈ものふかし〉いうのは奥深い、奥床しい、思慮深い、縁故が深いなどの意味であるが、こういう使い方は定家流であろう。

 〈春もたけて来たというのに、霞も立たず雪ばかり降り続いて空は鉛色に閉ざされ、わたしは小さい埋火をそっと抱いて重い心にじっと耐えているばかりだ〉

 作家の重く閉じ込められた心の呻きのようなものが聞こえて来る。殊に結句の〈埋火のもと〉という表現がうまい。人間的な苦悩が小さな埋み火の一点となって読むものに深い共感を呼ぶ。ここには耐え切れぬ憂欝と悲痛とが混ざり合った、絶望的な美が形成されている。〈さび〉の美というものは概ねこういう陰影を帯びており、それが新古今調と言われるものの特徴となっている。

 

37、風つらき 本疎(もとあら)の小萩袖に見て ふけゆく夜半におもる白露      (六百番歌)

 

 本歌は古今集の〈宮城野の本疎の萩露を重み風を待つごと君をこそ待て〉である。〈本疎〉というのは萩の根元が疎らに空いているという意味だ。

 〈本疎の小萩に吹く風が、しっとり濡れた露を吹き払って行くのを見るのは辛いが、更けて行く夜半のわたしの袖を重く濡らす涙の白露を吹き払ってくれる人は訪れもない〉

 〈風つらき〉いう第一句は歌全体の感情を代表しているのだか、小萩にとっての露を払ってくれる風を待っている恋人に擬しているのだから、この使い方は読むものを混乱させ当惑させる。したがってまことにわかりにくく良い歌とは言えない。

 

38、たまゆらの 露も涙もとどまらず なき人恋うる宿の秋風        (無常歌一首)

 

 建久四年秋定家三十二才の時の歌で、新古今集の哀傷の部に〈母みまかりける秋、野分しける日、もとの住みはべりけるところにまかりて〉いう詞書を伴って載せられている。そういうわけでこの歌は自分の母親の死を悼む特別の歌で、他の歌とはまったく違っている。どこが違うかと言うとこの歌では定家は自分の正体を曝け出しており、どんな工作もそれをしようという意図さえ見せていない。ここでは人の子としての真情をこの上もなく率直に吐露しているのである。正に裸の定家がいると言って良かろう。歌意は自ずから明らかであるが、〈玉ゆら〉という言葉については後世いろいろ説があったようである。 原義は〈しばし〉とか〈かすかな〉と言う意味であるから、人の命が露や涙が落ちる間の束の間の果ないものであるという感じを表すために使われたものであろう。この第一句は確かにそういう頼りない感じが非常によく出ている。

 〈野分の吹きつのる中で亡き母の住んでいた家の前に佇むと、のび放題の草に置いた露もあふれる涙もとどまるところを知らず、はらはらとこぼれ落ちるのである〉

 上句の畳み掛けるような激情の嵐を、下句でしっとりと物静かな表現で歌い納め、深い余韻を残したところはまことに見事である。上句で〈露も涙も〉としたところが定家の技巧であるが、この場合は他に言い表しようのないほど適切な表現なので、作為が作為でなく生かされ、哀切の情を嫌が上にも盛り上げている。そして限りない寂しさがしんしんと伝わって来る。しかも言葉の続き具合に少しの淀みもなく、色彩的にも寂しい色の無い世界に統一されており、熱い涙の底にある枯れさびた世界の存在感がじっとうずくまっている。そして人間の心の奥の底を真っすぐ見つめている緊張感が、独特の美を生み出している。これこそが〈さび〉の美であり、〈さび〉の美とは現実の底にある枯れさびた世界に対し、人間の熱い心が真正面から対決した時に起こるこの緊張感が生み出したものではないだろうか。

 

39、契ありて 今日宮河の木綿(ゆふ)(かずら) 永き世までもかけてたのまん     (拾遺愚草)

 

 いわゆる神祇歌で格別内容のあるものではない。言葉の優雅さだけを身上としている歌だろう。宮川というのは伊勢神宮の外宮のことで、因みに内宮のことは御裳濯川(みもすそがわ)と言う。木綿蔓は「ゆふかずら」と読み神官が冠にかけるもの。

 〈縁があって今日伊勢神宮の外宮に詣でることができた。永い末の世まで外宮の神様を頼りにしておすがりすることにしよう〉

 

40、旅人の 袖ふきかえす秋風に 夕日寂しき山のかけはし        (韻歌百二十八首)

 

 百二十八首という大量の歌を詠む中で速吟された一首である。この歌の第一の特徴は写生歌として読者の脳裏にたやすく一幅の絵がイメージされるようにできているところであろう。しかも表現がまことに率直でケレン味がない。旅人、袖、秋風、夕日、山のかけはしと、はっきりしたものが順序よく示されて、それが自然に組み立てられ画面が構成されて行く。。

 〈山の谷間の危なげな懸け橋の上を、一人の旅人が風に袖を吹きめくられながら渡って行く。その後ろ姿を落ちる夕日が赤く照らし出している。寂しい風景である〉

 これは誰の目にも浮かぶまことに日本的な風景だ。広重の版画でも見るようなうら寂しさが読者の胸にすいっと入り込んで来る。この寂しさは誰のせいでもない。人間という存在そのものが持っている本質的な孤独から来る寂しさである。そういうものが実に素直によく出ている。したがって詠む者すべてに共感を生み出す。この歌は決して傍観者の歌ではない。かと言って主観的な感情を剥出しにした歌ではもちろんない。山深い谷間の夕暮というものに対しての実作ではないにしても、完全に客観化された素材の巧みな組み合わせは、日本的風景を使っての人間存在の孤独によく迫っていて見事である。ことにこの歌が単なる傍観者の作り歌でないことは〈夕日さびしき〉いう句にはっきり現われており、感傷に堕せず、作家の心の震えが響いて来る。そういう意味でこれはまさに人間の歌であり、定家の秀作だと言って間違いないだろう。この歌は新古今集の羇旅(きりょ)の部にも載せられていて、定家を代表する歌の一つとなっている。

 

41、ゆきなやむ 牛のあゆみに立つちりの 風さえあつき夏の小車      (韻歌百二十八首)

 

 この歌は現代人にとっても平明な歌で、読んだとおりの解釈でよく隠された意はない。その場で詠んだものでないにしても写生歌としての臨場感にあふれている。おそらく正岡子規はこの歌を読んでいないであろうが、(と言うのはこの歌は《玉葉集》に入っていて《新古今集》には入っていないから)こういう歌なら気難し屋の子規殿にもお気に召したのではなかろうか。何故ならこの歌は夏の暑熱の中の街の風物を捉えての描写力抜群であるからだ。読むものにまで熱風が吹きつけて来そうな歌いぶりである。しかしこの歌はそれだけのもので、辛い、苦しい、遣り切れないという作家の気分は伝わって来るが、その原因は完全な自然現象であるから、こういう生理的反応以外に人間としての反応を呼び起こすものは何もない。同じ夏の歌でも、芭蕉の〈しずかさや岩にしみいる蝉の声〉などとはまったく違うのである。芭蕉の句は自然の写生ではあるけれど、自然と一体になっている人間のすがすがしい孤独がしっとりと伝わって来る。そういうものは定家のこの歌にはない。少なくともこの歌はその程度の歌である。

 

42、面影の ひかうるかたにかえりみる 都の山は月ほそくして       (韻歌百二十八首)

 

 〈一夜をともにした女のもとを立ち出でて帰途についたが、ひどく未練が残って振り返ると都をめぐる山の背に細く尖った月が懸かっていた〉

 これは艶な歌である。画いている状況には中々生臭いものがあるのだが、それにもかかわらず読後に残る感じは、むしろ妙に乾いた冷たい感触なのである。初句から展開されて来た艶な世界を、結句の七文字で冷たく乾いた世界に一挙に転換しているからだ。〈ひかうる〉がわかりにくい言葉だがこれは控えるで、女のいるところを指している。〈月ほそくして〉という表現には暖かく円満な感じとはまったく逆の、冷たい、鋭い、不安な感じが集中的に表現されており、そこには何か不気味で不穏で陰惨な匂いすら漂っている。そして恋人の住む方向を振り返った男を、身震いさせるような孤独感が押し包むのである。読む者を恋の生暖かい艶な世界に誘い込んでおいて、最後の瞬間にドンデン返しを食わせ、背筋を寒くさせるこの定家の言葉の魔力は正に曰く言いがたいものがある。そしてこの〈月ほそくして〉に象徴される世界が定家を定家たらしめている彼一流の世界なのである。

 

43、もろともに めぐりあいける旅まくら なみだぞそそぐ春のさかずき   (韻歌百二十八首) 

 

 〈思いもかけず都を離れて互いに巡り合った喜びは言葉に尽くしがたく、再び別れていくことを思いながら花のもとに交わす盃はどうしても涙にしめりがちになってしまう〉

 この歌は男女の出会いではなく男同志の出会いを詠んだものである。歌全体の持つ雰囲気が何か豪奢でおっとりしており王朝風である。それは結句の〈春のさかずき〉という言葉から来るらしい。実にうまい言葉で絢爛たるロマンティシズムが匂って来る。この歌では第一句の〈もろともに〉も男同志が再会の喜びに互いに肩を抱き合っているような感じが生き生きと表現されている。定家は総じて第一句にずばりとした言葉を持って来るのが得意であり、第一句で読者を捉えてしまうことが多いが、この〈もろともに〉などはその好例であろう。この歌の言葉の優雅さと歌の持つ雰囲気の豪華さ、ロマンティシズムの甘さで読者を捉えはするが、一種のムードの歌で決してそれ以上のものではない。言ってみれば大人の童話のような世界なのである。

 

44、苔の下に うずまぬ名をばのこすとも はかなの道や敷島の歌       (韻歌百二十八首)

 

45、あめつちも あわれしるとはいにしえの たがいつわりぞ敷島の道     (   〃    )

 

 この二首は一風変わった面白い歌である。二首とも歌意は読んで字のとおりで特に言うほどのものではない。面白いのは何れも和歌の道の果なさを嘆き、または告発していることである。これはもちろん歌人たる自分の(なりわい)に対する自嘲であろうが、こういうところにつむじ曲がりの定家の性質がよく現われている。この傾向はもう一歩進めれば狂歌になって行くものであろう。「歌で不朽の名を残したってそれがどおだって言うんだい。天地がもののあわれを知っているなんてウソッパチも大抵にしてくれよ」と言うのだから可笑しい。それを気むづかし屋の定家が言うのだから余計可笑しい。しかしこれは歌作に倦んだ定家の実は本音であったかもしれない。宮廷の職業歌人というものは言ってみれば歌製造業者であり、常に量産を迫られていたのだから、時にはこんな心境になるのも当然のことで、これも定家の一つの真実であったに違いない。

 

46、春の夜の 夢の浮橋とだえして 嶺にわかるる横雲の空        (仁和寺五十首)

 

 この歌は古来人々の高い評価を得て来たものであり、定家及び新古今和歌集を代表する歌のように言われている。もちろん《源氏物語》五十四帖の最後の帖〈夢の浮橋〉をふまえたもので、薫と浮橋の何とも味気ない恋の終り想像させることによって、春の夜の恋の夢が覚めた後の索莫たる思いを表し、白々しい意識が容赦なく戻って来るさまを、峰から離れて行く横雲に象徴させたのである。しかも〈浮橋〉を「憂き端」に掛けたりして、言葉の技巧はさすがに手が混んでいる。

 〈春の夜の恋の夢も味気なく物憂い結末に終り、目が覚めてみると、その恋の名残が立ち去って行くように、横雲がゆっくりと山の端を離れて行く〉

 春の生暖かい曙のけだるい雰囲気の中で、物憂く味気ない思いがゆらゆらと立ち昇って来る。ここでは甘美な世界をやや退廃の匂いが漂うまでに盛り上げておいて、それが見る見る味気ない現実に変わって行く遣り切れなさを実に巧みに表現している。そういう意味で技巧の極致を行くような巧緻な歌であるが、あるわかりにくさは覆いようがない。それは文字の上の意味ではなく、この歌を作った定家の感情のわかりにくさである。作家は歌の感情の当事者であるようでいて表現の上には何処にもその痕跡を残していない。文字の上では完全にアリバイが成立している。そこで読者はどうしてもある戸惑いを覚えざるを得ない。これは客観者の歌のようでもあるようだし、傍観者の歌のようでもある。定家という人間の一筋縄でのいかなさと言うか、いやらしいほどの寝業の技術と言うか、とにかく読者を苛々させるようなところがある。つまりこの歌は客観と傍観との間の危ういバランスの上に立っているのであり、正に綱渡り的曲芸の歌だと言ってよい。そこにダダイスト定家の真骨頂と言うか、一種独特の爛熟の美と微かに匂う()えたような退廃の匂いか漂うのである。

 

47、大空は 梅のにおいにかすみつつ くもりもはてぬ春の夜の月      (仁和寺五十首)

 

 これは新古今集所載の大江千里の歌〈照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものはなし〉の本歌取りである。その千里の歌がまた白楽天の七言絶句「嘉陵夜有情」から作られたものだと言うのだからややこしい。しかし定家の工夫は白楽天にも千里にもない香りを導入しそれを歌の中心に据えたことであろう。殊に〈梅の匂いに霞みつつ〉という表現は定家の独創である。唯独創なだけに〈匂いに霞む〉というのがやはりすんなりとはわかりにくい。匂いというものは鼻が感ずるものであり、霞というものは目で見るものだからである。しかしここはあたり一面に梅の匂いが漂い大空もその匂いの紗の膜を通して見るようだという心持ちであろう。そして春の夜の月がなんとなく朧ろにかかっている、そういった甘い、のびやかな、そして何かけだるい春の夜の心持ちが巧みに表現されている。ここでは定家は考えることをすべてやめて、馥郁(ふくいく)たる春の中に身も心も遊ばせているような気がする。作家の心は珍しく自然で平和なのである。したがって歌の雰囲気から言うとむしろ古今調の歌の趣がある。この歌も新古今集春の部に入っている。

 

48、霜まよう 空にしおれし雁がねの かえるつばさに春雨ぞふる     (仁和寺五十首)

 

 第一句から素直に読み下して行くと結句で狐につままれたような感じを受ける。何故なら〈霜まよう空にしおれし〉と言うのだからてっきり霜の季節、晩秋から冬だと思っていると、結句で〈春雨ぞふる〉と春になってしまうのだからあれっと思うのは当然である。いったいこれはどうなっているのか。

 次は〈霜まよう空〉という表現。これも見かけない言葉だから戸惑うのだが、その上霜は地上に降りるもの、その霜が空にあるというのがまたわからないい。もう一つ〈霜まよう〉というのはどういう状態を言うのか。まず〈霜まよう〉であるが、これは霜が置き乱れるの意だと言う。つまり霜が一面に降りているということだろう。霜などというものはあっちこっちにばらばらに降りるというものではないのだから、つまり置き乱れるというのはあっちこっちに霜が降りたはっきりした形が見えるといった心持ちを表現したものだろう。ところで霜と空との関係だが、この場合の霜は霜そのものではなく、霜気、つまり霜がびしっと置いているような乾燥した冷気のことを言って言っているので、それが天に漲っていると解すればいいだろう。つまりそう解釈しないと、この〈霜まよう空〉というのは意味をなさないのである。とすると相当寒い季節、雁の飛来する晩秋から冬にかけてであることは間違いあるまい。飛んでいる雁の翼もしおれて見えるくらいなのだから。

 ところがその翼は一転して帰って行く翼となり、春の暖かい雨に濡れているということになる。では何時季節ががらりと変わってしまったのか。雁がやって来た頃は翼がしおれるほど寒かったが、今帰る頃には春雨の降る暖かい時候になったと言う意味か。それとも昨日までの異常な寒さは嘘のようで、雁が帰る頃だけにさすがに今日は暖かい春雨が降っている。やっぱり春なんだなあという心持ちか。つまり雁を主題に歌ったのか、季節を主題に歌ったのか、と言うことになる。たがこの歌はいくら読み返してみてもそこがわからない。だから今に至るまで納得性のある解釈がないのである。何れにせよ作家は読者に意外性を与えることに力が入り過ぎて、歌の心を伝えることに完全に失敗している。結句の〈春雨ぞふる〉に帰る雁の後姿に暖かい雨を振りかけている作家の心が滲んでいてほのぼのとしたものがあるにはあるのだが、意味がはっきりしないのはいかにも残念である。歌の良し悪しの評価はやはり控えたい。

 

49、夕暮は いずれの雲のなごりとて はなたちばなに風のふくらん    (仁和寺五十首)

 

 新古今集夏の部所載。この歌では雲から風が吹いて来ると解すると何となく変な話になってしまう。と言うのは古来死者を焼く煙が雲となるという考えがあり、雲は不吉なものの一つの象徴となっているからである。ここで定家は雲の意味を転換して、自分にとっては関係が切れてしまって死者同様の人間、つまり昔関係のあった女という意味に使っているようだ。

 〈暮れなずむ夕闇の中を風がほのかに橘の花の香りを送って来る。この香りは昔の人の名残りの香りなのだが、果たしてどの人だったろうか〉

 初夏の爽やかな風が夕闇の中に頬を吹く時、運ばれて来た橘の花の甘い香りで昔の情人を偲んでいるという、甘酸っぱい哀愁を感じさせる歌である。それにしても雲をこういうふうに使うというのは、誰にでもすんなり読み取れるというものではなく、いろいろな誤解も出ているのでやはり捻り過ぎの感は免れない。定家にはどうもこういうペダンティックな癖があり、必ずしも良いこととばかりは言えないようである。しかもどの女だったのだろうなどはずいぶん人を食った話だ。定家を歌の神様として信仰の対象にしてしまい、その上で歌を論じ出すとどうしても贔屓の引き倒しになり、評価を誤ることになってしまう。定家の歌がわからないのは、わからない方が悪いというような考えは何れにせよ間違いであろう。定家にはわからなくて当前のような歌も少なくないのである。それはともかくとしてこの歌の持つムードは豪奢で王朝風の優雅にあふれ、古今調の姿になっており、読んで何となくはんなりして気分に誘われるのはさすがである。

 

50、こと問えよ 思いおきつの浜千鳥 なくなくいでしあとの月影     (仁和寺五十首)

 

 新古今集羇旅の部所載。安東は〈解はいくつでもできる。できるが、どう解釈しても歌の言わんとする気分は変わらない。そこがいわゆる「達磨歌」の面白さである。情景は読者がそれぞれ思い設ければよい、というところに定家の安心した、むしろ意識的な狙いがあるのだろう〉と言っているがずいぶんいい加減な話である。どう解釈しても勝手で、それでも〈歌の言わんとする気分は変わらない〉などと言うことがあるわけがない。やはり言葉にしたがって歌の意味を解いてみなければなるまい。先ず〈思いおきつの〉だが、これは「思い置く」と沖津という地名が掛け言葉になっているが、地名については意味はないであろう。次に〈浜千鳥〉は〈なくなく〉を出すための序詞で、この〈浜千鳥〉もそのものには意味はない。〈思いおき〉と言った関係上必要となる目的語として沖津の縁語として選ばれたのである。だとすればこの歌で意味のある部分は〈こと問えよ、思い置き、なくなくいでしあとの月影〉ということになる。とすると、〈こと問えよ〉という言葉は〈月影〉に対して言っているということになる。そこで一首の意味はこうなる。

 〈断ち切りがたい思いを断ち切って、恋人に思いを残したまま泣く泣く故郷を立ち出て来たが、振り返ると故郷の辺りに月が上がっている。月よどうぞ今のわたしの思いを尋ねておくれ〉

 おそらく定家がこの歌に込めた意味もこういうことだったに違いない。問題は歌を解釈する上に言葉の遊びが多すぎ、夾雑物が邪魔をし過ぎるのである。この歌は前にわたしが言った「智者智に落ちる」と言うか、演じ過ぎて観客を白けさせる演技の類いであろう。決して良い歌とは思われない。したがってそこに流れる感情も単に別れの悲しみというだけで平板であり、訴える力も弱い。

 

51、わくらばに とわれし人も昔にて それより庭の跡はたえにき     (仁和寺五十首)

 

 〈降り積もる落葉を踏んであの方がお訪ねくださったのは、もう悠か昔のことになってしまった。あれ以来訪れはふっつり絶えて庭に足跡もなく、わたしは一人降り積む落葉の中に埋もれていくばかりです〉

 これは素直な歌である。容色の衰えて行く女の深い溜め息が聞こえてくるような気がする。女にこと寄せて詠んではいるが、これは定家自身の思いを反映しているのであろう。第一句の〈わくらばに〉という言葉が弱々しく衰えた女の姿を巧みに暗示しており、結句の〈たえにき〉と言う突放した言い方も絶望的で利いている。特に言葉を妙に捻っていないので、内に込めたものが深くなっており、歌の裏で震えている作家の心が枯れ寂びた風景の中に〈さび〉の美を見事に浮き彫りにしている。(新古今集雑の部所載)

 

52、いずくにか 今宵は宿をかりごろも 日も夕ぐれの嶺の嵐に      (拾遺愚草)

 

 これも同じ新古今集羇旅の部所載の歌。〈かりごろも〉は狩衣でもちろん宿を借りるの掛け言葉である。

 〈今夜は何処で宿を借りようか。日も暮れかかり嶺から吹きおろす風もつのって来たようだ〉

 それだけの歌で、旅の孤独、頼りなさといったものは感じられるが、特にどうと言ったこともない。掛け言葉をうまく使って器用にまとめただけの歌で心の深いものではない。無難な宮廷向きの歌というところだろう。

 

53、よしさらば 哀れなかけそ思いわび 身をこそすてめ君が名は惜し   (拾遺愚草)

 

 この歌と次の歌はもちろん恋歌であるが、その相手は式子(しょくし)内親王だと言われている。内親王は定家より八才年上であり、定家との間にどんな交渉があったのかは明らかでないが(このことについては《明月記》にも何の記載もない)、内親王が病に倒れた時詠まれたこの歌は中々意味深重な内容を含んでいる。

 〈ままよ、それならばわたしに情を掛けるようなことはなさいますな。わたしはこの恋の成らぬことを耐え忍び、そのわびしさのために出家いたします。もしこのことが人の口に登ってあなた様のお名に傷がつくようなことがあっては決してなりませんから〉

 この歌の調子には何処かすねたような捨科白的な嫌な臭いが漂っている。例えば〈よしさらば〉は開き直った感じだし、〈哀れなかけそ)は不貞腐れて放っておいてくれ言っているように聞こえる。また〈身をこそすてめ君が名は惜し)にはわたしが犠牲になれば澄むことでしょうといった恩着せがましい思い入れが感じられる。もちろん男の未練がそのまま出たのであろうが、やはりどうしてももう一つすっきりしない。この歌からはまったく純粋さが感じられないのである。そういう点では次の歌の方が好感が持てる。

 

54、身を知れば うらみじと思う世の中を ありふるままの心よわさよ   (拾遺愚草)

 

 〈自分の身分を考えればこういう世間では相手を恨んだりするわけにはいかないのはよくわかっている。そうは思ってもありのままの自分は心弱くも悶え続けて止まないのだ〉この歌も上句はやはり未練がましい。しかし下句の〈ありふるままの心よわさよ〉が正直に自分の内側を曝け出しており、そういう作家の気持は十分共感できる。割り切ろう割り切ろうと思ってもどうにもならない矛盾、痛み続けて止まない心、それは人間というものの弱さを的確に画き出している。ここでは作家は自分の心の中をじっと見つめ、鋭く自己と対決している。その厳しい緊張感が読者の心を打つ。そして上句の未練気な言葉もそれなりに納得が行ってしまう。

 この二首は定家の私家集である《拾遺愚草》にしかなく、何処にも発表されたものではないらしい。つまり定家はこの二首を自分のためだけに詠んだもので、それだけに他人に対する配慮を一切払うことなく、真っすぐに自分の心を見つめその通り詠んだものに違いない。二首を続けて読んでみると、第一首と第二首はまったく違った性格を持っている。それは定家の目が第一首では相手に向かっているのに対して、第二首では自分自身に向かっているからである。何れにせよこの二首は定家という人間の持つ二つの側面をいみじくも浮き彫りにする結果になったというふうに思えるのである。

 

55、駒とめて 袖うちはらうかげもなし さののわたりの雪の夕暮     (後鳥羽院初度百首)

 

 新古今集冬の部所載の有名な歌だが、この歌の本歌は万葉集巻三、雑歌の長忌寸奥麻呂の歌〈くるしくも ふりくる雨か(みわ)(さき) 狭野(さの)のわたりに家もあらなくに〉であると言われており、それは先ず間違いのないところであろう。安東は〈奥麻呂の歌は旅人の単なる心細さとも望郷の念とも読めるが、「苦しくも」と言い「家もあらなくに」と言ったところに読み捨てに出来ぬ感がある。その感を外して歌の姿を純客観風に整え、併せて雨を雪に翻せば「駒とめて」の歌になる〉と言っている。わたしは安東の言うところに大体は賛成だが〈純客観風に整え〉いうところには引っ掛かる。万葉の奥麻呂の歌は直情型で〈苦しくも降りくる雨か〉には直情型の良さが出ていると思うのだが、結句の〈家もあらなくに〉があまりにも素直過ぎて単純だし、内容を陳腐化してしまっている。定家は本歌取りをする際奥麻呂の歌を借りはしたが、内容を転換するため主観の歌を変質させたのはわかるが、その方法は〈客観風に整えた〉ということなのだろうか。安東は〈客観風〉と言って〈客観的〉とは言っていないのだがこの辺はずるい。結局安東の言いたいのは客観的ということだろうが、なぜ客観風というような曖昧な言葉を使ったのだろう。それはおそらく自信がなかったからに違いない。確かに定家は本歌を客観的に整えたのではないのである。唯客観的に整えたように見せようとしていることは確かだ。だから客観風に整えてという言い方はことによると正確なのかもしれない。しかし風という言い方は曖昧であるからそういう言い方をするなら風の説明をしなくてはならない。そうしないと勝手な解釈ができてしまうからだ。安東がそれをしていないのは無責任である。先ず歌そのものをしっかり読んでみよう。この歌は白一色の色彩のない世界だ。 

〈一刻のひまもなしに雪は烈しく降りしきっている。そして夕暮が白い雪を薄墨色に染めはじめた。早く何処か人のいるところへたどりつきたいが家一軒見えない。笠にも袖にも重く降り積もる雪を振り払いたいと思うが、陰になる木一本もない。そして夕闇はますます色濃く迫って来つつある〉

 これはぎりぎりの孤独である。しかし上の解釈はややわたしの想像力が入り過ぎているかもしれない。実は定家のこの三十一文字を読む限りこれほどの孤独は浮かび上がって来ない。定家の言葉はすべての感情を拒否し、まるで他人ごとのように冷たく放り出されている。安田章生は〈この歌が一向に苦しみを感じさせず、一幅の絵、あるいは舞台の上の所作を見ているような美しさを感じさせる〉と言い、〈雪の夕暮は読者の眼前にむしろ美しいものとして遠く広がり物陰一つない雪野を騎馬で行く旅人は一点景として現われる〉

 

 

 

 

 

 〈それは荒涼たるものであるが、その荒涼を艶に通う美の世界に転化せしめている〉と述べ、一向に苦しみを感じさせず艶に通う世界に転化させていると強調している。わたしには安田の言う〈一向に苦しみを感じさせず〉というところはよくわかるのだが、それが艶に通う世界に転化しているとはどうしても思えない。何故なら安田も言うように、この旅人は暖かい血が通っている人間ではなく、〈一点景〉に過ぎないくらいだから、一面の雪野もそこに迫る夕暮も、生命のない張りぼての作りものとしか見えず、それらが集まって構成された一枚の画面も、まったく白々しく味気ない、薄暗いモノトーンの世界にしか過ぎないからである。その死んだ画面が何で艶に通う美の世界に転化するのかがどうしてもわからない。(いたずら)な感情移入を拒否する定家の方法はわからないことはないが、もしそうだとしてもそれは胸の奥のどうしても表現せずにはおられない作家の内面の心情があればこそ、この方法がより大きいイメージを起こさせ、それが美的空間を形づくるのであって、その内なる心がなければ表現は唯味気なく平板な姿をさらすだけではないのか。この歌を読んで読者は作家の孤独な心を感じはする。しかしこの孤独は人間存在そのものの奥底に潜む孤独とは何処か違う違和感を撒き散らしている。だから読者はすんなり共感を持つことができない。定家の孤独は定家だけの孤独であって、定家自らが己の孤独に立てこもり、読者との共感を拒否しているように見えるのだ。つまり定家の孤独は世に背き人間に背を向けた、まったく彼だけの個人的孤独に過ぎない。少なくともこの歌に関する限りはそうである。つまりここには定家の我が歴然と現われ、その我が定家の肉体の中にも流れている人間の血の温もりを覆い隠してしまっている。どんなに枯れ、さびれ、冷たく氷った世界であっても、その世界の中の孤独にじっと耐えている人間の熱い息吹が通っていれば、それは安田の言う〈艶に通う美の世界に転化〉するであろう。

 しかしそもそも作家の内側にそういう人間的な息吹きがなく、世に背き、人間に背を向け、己れの我の世界に頑なに閉じこもっていたのでは、美に転化する核そもそものがないということになるのではないか。安田の論は一番大切なところを安直に飛躍させ、自分が望む感傷的な結論に短絡させている点論をなしておらず説得性に欠ける。

 つまり定家は奥麻呂の歌から本歌取りをするに際し、〈純客観的に整えた〉のではなく〈傍観的に整えた〉のである。この客観と傍観とについては別項で詳しく論じたのでここでは省略するが、安田が〈この歌は一向に苦しみを感じさせず〉と言っているのも、安東が〈純客観風〉とぼかしたのも、実は作家が主体的人間として歌を客観化しているのではなく、傍観者として歌を操作しているだけだと言うことなのである。そのことに安東も安田も気づいておらず、気づいていたとしてもこの一番大切なところを突っ込んで解明しようとはしていない。歌を読みそれを味わうには、何よりも先ずあらゆる既成概念に捉われず、心貧しく対することが必要だろう。作家の立場に寄り添ってしまっては、その芸術を真に理解することはできるわけがないのである。わたしはこの歌と〈見渡せば〉は作家の歌に対する姿勢がまったく同じであり、この二首が定家の歌を代表するほど有名なだけに、その理解が極めて重要性を持っているにもかかわらず、安東や安田のような評価に終っていることをたいへん残念に思う。定家にはもっと他にたくさんの素晴らしい歌があるからである。

 

56、しら雲の 春はかさねて立田山 おぐらの嶺に花におうらし      (後鳥羽院初度百首)

 

 この歌でわかりのくい言葉は〈春はかさねて〉である。この重ねるのは白雲に花雲を重ねるという意味だと言う。そう言われればそうかと思うが、誰にでもわかるというわけにはいかない。一応それはそれとして歌意を考えてみよう。

 〈春のやんわりとした白雲が立田山の峰にかかって、あの小倉山の今を盛りと咲き匂っている花の雲と見分けがつかないように重なっていることだろう〉

 ちょっと戸惑うのは立田山と小倉の峯の関係だが、小倉の峯は立田山の一つの峯だそうである。しかしそれを知らない読者にはいくらかややこし過ぎる憾がある。また〈春はかさねて立田山〉には、春が立つと白雲が立つと言った意味が込められており、いよいよ春がたけなわに入って来る感じを出している。しかし歌全体はそういう春の甘いムードを漂わせるだけで、それ以上の深いものはない。優雅な言葉とその遊びによって甘いムードを出せればそれで目的達成といった種類の王朝風の遊び歌であろう。定家も特に構えずにあっさり詠んだという気安さを感じさせる。

 

57、梅の花 においをうつす袖の上に のきもる月のかげぞあらそう     (  〃  )

 

 〈月の明るい早春の夜、梅の匂いが袖まで香るようである。その袖の上に軒端を洩れる月の光がちらちら踊って梅の匂いと艶を競っている〉

 ここで定家は匂いと光を交錯させるという、常人には思いつかない工夫を凝らしているが、それが成功して新しい感覚の耽美的世界がうまく浮かび上がって来ている。おそらく当時の新感覚派といったところであったろう。しかしこういう歌は感覚の新しさで読ませるものの、それは読むものの感覚にのみ訴えるものであって、心にまで訴える力はない。何故なら作家はこの世界に感覚で対しているのであって、心で対しているのではないからである。したがって宮廷の女房たちが「あら素敵!」と騒いだかもしれないが、長く彼女たちの心に残る歌ではなかったろう。

 

 ところでこの当時の定家が属していた宮廷社会の状況を覗いてみると、正治二年(一二○○年)定家は三十九才、歌において油の乗り切った時期であった。彼が仕えていた後鳥羽院も歌の道に異常な情熱を注ぎつつあった。俊成、定家の御左子家は、九条兼実の庇護のもとに歌学の家として着々と力をつけつつあったが、源通親の陰謀によって兼実が失脚すると、俊成・定家親子の直接のパトロンであった兼実の子の良経も連座したので、歌の世界での対立者の六条家は御子左家に対して露骨な妨害工作に出た。定家や家隆は初めこの〈後鳥羽院初度百首〉の歌人から除かれてしまった。そこで俊成は直接上皇に訴えてやっとこの二人を加えてもらったという経緯があったのである。時に上皇はまだ若干二十一才であった。定家の歌人としての実力はようやく熟しつつあった。

 

58、おのずから そこともしらぬ月はみつ 暮れなばなげの花をたのみて     (後鳥羽院初度百首) 

 

これまた極めてわかりにくい歌である。下句の〈なげの花〉というのは無いと同然の花ということである。

 〈日が暮れてしまったら見えはしないのだか花の陰に宿ればいいと思いつつ、花に浮かれて遊び廻っているうちに、何時の間にか夕暮が迫って朧にかすむ月を見ることになってしまった〉

 ここで一つ引っ掛かるのは〈月は見つ〉という用法である。普通なら〈月を見つ〉とするところを定家は敢えて〈月は見つ〉としているのだが、これは文法的に言えば〈月は〉は主格であるから月を見たということにはならない。こういうところはどうも納得しかねるところで、それが定家の歌を読みにくくしている原因の一つだろう。この歌の雰囲気は一種の退廃的なけだるさであって、こういう耽美の世界は定家の世界の特徴であろう。

 

59、忘れなん まつとなつげぞなかなかに いなばの山の嶺の秋風     (拾遺愚草)

 

 新古今集羇旅の部所載の歌だが、本歌は古今集巻八離別の部にある在原業平の有名な歌〈立別れいなばの山の峯におうる松としきかば今かえりこん〉である。この歌も定家の歌も〈稲葉のやま〉と〈去なば〉を、また〈松〉と〈待つ〉を掛言葉としており、業平は故郷が恋しいと歌ったのに対し定家はそれを引っ繰り返して故郷を忘れてしまおうと歌ったのである。〈なかなかに〉は「どうしても」とか「決して」との意。

 〈もう帰ることもない故郷のことは忘れてしまおう。峯の秋風よ、わたしの決心がにぶらないように故郷の妻の待っているなどという言葉は決して伝えないようにしておくれ〉 

歌の内容は深刻なものがあるのだが、本歌取りを知的遊戯的に楽しんでいる感じなので言葉が調子良すぎて深刻な心情が伝わって来ない。これは定家の心がもともと深刻なものを持っていないからである。業平をもじって言葉だけに凝った宮廷的遊び歌であろう。

 

60、桜色の 庭の春風あともなし とはばぞ人の雪とだに見ん        (千五百番歌合)

 

 新古今集春歌の部所載の歌だが、本歌は古今集巻一春の部の在原業平の歌〈今日こずばあすは雪とぞふりなまし消えずは有りとも花とみましや〉である。

 〈春風が桜色に見えるほど花を吹き散らして庭の桜は跡形もなく散ってしまった。もし訪ねる人があったら庭一面雪が降り積もったとしか見えないのではなかろうか〉

 前の歌と同じく本歌取りの言葉の遊戯であり、華麗なイメージを振り撒くだけで他には何もないと言って良かろう。当時の宮廷社会は互いにこういう歌を作って技巧を競い合ったのであり、歌作りは職業であったから技巧は洗練されて行ったが、その反面心は浅い歌が多出したのである。こういう歌作の方法ではそれはまことに止むを得ないことであったろう。したがってこういう形での歌壇の繁栄は一方では歌の隆盛にもつながったが、他方では歌の堕落をも促進したのであった。新古今集以後歌が急速に衰えて行ったのは必然の結果であった。

 

61、久方の なかなる川のうかい舟 いかにちぎりて闇をまつらん     (千五百番歌合)

 

 新古今集夏の部所載の歌で、本歌は古今集雑歌の部の伊勢の歌〈久方のなかにおいたる里なればひかりをのみぞたのむべらなる〉である。〈久方の〉は月の枕詞だから〈久方のなかにおいたる里〉は月の桂の里の意。伊勢は宇田天皇の中宮温子(おんし)に長く仕えていたが勤めを辞した後は桂の里に住んでいた。この歌は温子がその伊勢に送った手紙の返歌であって、温子を〈ひかり〉になぞらえ、〈わたしは桂の里に住んでおりますので月の光だけをたよりに生きております〉という表の意と、裏に〈中宮様のお恵みだけを頼りに生きております〉の意を含めたものである。

 定家は里を川に代え替え〈久方のなかなる川〉つまり桂川とし、話を鵜飼の暮らしに変えている。歌の意味は本歌と同様に表と裏があり、表は〈他の川はともかく桂川だけは明月のもとでの鵜飼があってもよさそうなものなのに、どういう約束事があって上弦の月が落ちるのを待って闇の中でするのだろうか〉であるが、裏は伊勢にならって月の光を上皇の御威光とし、〈われわれ下賎な鵜飼たちは上皇の御威光を浴びて働きたいのです〉と追従と恨み言を言っているのである。したがってこれは正に技巧だけの歌であり、歌の心はない。現代人にはあまり関係がない歌である。

 

62、秋とだに 忘れんと思う月影を さもあやにくに()つ衣かな (千五百番歌合)

 

 新古今集秋の部所載の歌だが、本歌は古今集秋の部のよみ人しらずの歌〈このまよりもりくる月のかげみれば心づくしの秋はきにけり〉である。〈心づくし〉は物思いに心も尽き果てるの意。それを受けているので〈秋とだに〉出たのである。

 〈秋というものはそうでなくても物思いに耽って心を悩ますものだから、秋ということだけでも忘れたいと思いつつ月を眺めていると、何とまあ生憎のことに、秋だぞ秋だぞと念を押すように砧を打つ音が聞こえて来る〉

 砧を打つというのは衣を柔らかくするために布地を打つことで、砧を打つのは寒い冬のための支度なのである。この歌は正に頭の中ででっち上げた形跡歴然であまりにも理に落ちており、情緒が湧いてくる暇がない気がする。ことに〈さもあやにくに〉などは如何にも傍観的であり、頭で理解するのに忙しい歌となっている。

 

63、ひとりぬる 山鳥の尾のしだり尾に 霜おきまよう床の月影   (千五百番歌合)

 

 この歌は新古今集秋の部所載の歌で、本歌は《拾遺集》や《百人一首》にある柿本人磨呂作と言われる〈あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねん〉である。人磨呂の歌では一人寝の秋の夜長をかこつ歌となっているが、定家はこの恋歌を季の歌に詠み替え、序詞を序詞としてでなく、歌そのものの内容を変えてしまっている。つまり山鳥を画く叙景歌の体裁に仕立て上げているのである。このあたりは定家独特の技巧であろう。

 〈一人寝の長い長い山鳥の尾の上に夜更けの霜が置き乱れ、そこに木の間を洩れる月の光が冷たく踊っている〉

 置き乱れる霜、その上に踊る月光、肌寒くなるような冴えわたった世界である。この歌の作り方は〈宇治の橋姫〉の歌とよく似ている、と言うよりまったく同じである。つまり橋姫が山鳥に変わっただけである。橋姫の歌でも橋姫が生きた人間でなく一個の物として扱われたのと同様、この歌でも山鳥は一個の物として扱われている。山鳥に作家の感情は移入されていないばかりでなく、山鳥の立場で歌が作られているわけでもない。山鳥は定家が画く一点景に過ぎない。だからこの歌には感傷もない代りに感情もない。時間を止めすべての生の息吹を止めて切り取って来た世界の一断面を放り出したようなものである。月光に照らし出され霜に輝いている山鳥は確かに美しい。何か肌寒くなるような美しさである。が、それは感覚的な美しさであって、魂にまで訴えて来る美しさではない。こういう感覚美の世界への没入は時代精神の衰微の一つの象徴だという気がする。

 

64、わが道を まもらば君をまもらなん よわいはゆずれ住吉の松     (千五百番歌合)

 

 新古今集賀の部所載の歌だが、賀の歌というものは一般に位の高い人、年長の人へのお祝いの歌だから、真情の篭もったものがないわけではないが、どうしても世辞や時には追従になりやすく、形式化しやすい。この歌もやはりそういう臭みは拭えない。

 〈住吉〉というのは住吉神社で歌道の神であり、住吉の神に祈る形で歌が出来ている。〈住吉の神様、わが歌道をお守りくださいますなら、どうかわが君(後鳥羽上皇)をお守りください。そして松の千年の齢をわが君にお譲りください〉

 つまり後鳥羽上皇を守ってくれることが、歌道を守ることになるのだ、というお追従である。当時としてはこの程度の追従は普通当たり前で、特にいやらしいというものではなかった。もちろん歌としては評価に値するようなものではないが、当時の宮廷社会を理解するための一つの参考にはなろう。

 

65、きえわびぬ うつろう人の秋の色に 身をこがらしの森の下露     (千五百番歌合)

 

 新古今集恋の部所載の歌で、本歌は古今集六巻のよみ人しらずの歌、〈人知れぬ思いするがの国にこそ身をこからしの杜はありけり〉である。

 定家の歌は初句切れになっているが、散文的に書けば最後に来るべき言葉である。だからこの歌は終ったところから初句に返って来るようになっていて達磨歌と言われ、定家の特色となっている。そのため読みにくくなっているが、この特色を飲み込んでしまえば、歌の心が初句で断定的にずばりと言われているので、むしろわかりやすくなるし、意味も強められる。〈秋〉を「飽きる」に〈身をこがらしの〉は「身を焦がす」に掛けてある。 

〈恋人の心は秋の草葉の色がうつろっていくように、わたしから他の人に移ってしまった。そのためわたしの心は木枯らしの吹き荒れている森の下露のように、今にも消えようとして唯苦しむばかりである〉

 したがって言葉が表しているのは失恋の悲痛な感情であるけれど、必ずしもそういう悲痛さが響いて来ない。それはあまりにもうるさい掛言葉のせいであって、その掛言葉の調子の良さが悲痛な感情を上滑りさせ、何処か空々しいものにしてしまっているのである。 やはり作り歌の落し穴であろうか。

 

66、たずねみる つらき心のおくの海よ 潮干のかたにいうもかいなし   (千五百番歌合)

 

 これはは新古今集恋の部所載の歌で、本歌は源氏物語須磨の巻の六条御息所の歌である〈伊勢島や潮干のかたにあさりてもいうかいなきはわが身なりけり〉である。

 〈今更恋人の心の奥を尋ねてみるのも辛い。わたしに対する思いが枯れ果ててしまったからには、言ってみる甲斐もないのだから〉

 すべて海の縁語で出来ており、〈潮干〉は心が枯れ果てた様、〈かた〉は潟、〈かい〉は貝である。これも前の歌と同工異曲の恋の恨みの歌だが、やはり掛言葉の重用がうるさい。しかしこちらの方がやや情が素直の流れており、理解しやすく味わいもある。この二首の表情は主情的でありソフィスティケートされていない。

 

67、五月雨の 月はつれなきみやまより ひとりもいずる郭公かな      (老若五十首歌合)

 

 新古今集夏の部所載の歌。

 〈五月雨が降りやまず月は意地悪く山に隠れて出て来ないが、郭公が一人出て来て夏を告げ顔に鳴声を立て始めた。やはり夏は近いのだなあ〉

 〈ひとりも〉という言葉にはちょっと抵抗があるが、この〈も〉は月は出ないが一人でもという意味であろう。定家一流の常識をちょっと捻った表現であるが、こういうところから歌がわかりにくくなっている例は多い。歌としてはあまりついて行きにくく、成功ではないと思うが、新古今集の選者は案外この〈ひとりも〉が面白いというので採用したのかもしれない。と言うのはこの〈も〉には郭公の馬鹿正直さを軽くからかっているような響きもあるからである。とにかく定家というのは一筋縄では行かない人なのである。

 

68、松山と 契りし人はつれなくて 袖こす波にのこる月影         (老若五十首歌合)

 

 これも新古今集恋の部所載の歌で、本歌は古今集巻二十大歌所御歌のよみ人しらずの歌〈きみをおきてあだし心をわれもたばすえのまつ山浪もこえなん〉である。本歌は男の歌であるが、定家は女の歌に替え、しかも本歌では〈あなたの他にわたしが心を移すなどということは、波が松山を越えることがないように決してあり得ないことです〉という男の女に対する誓いの歌になっているのだが、定家はその誓いを破った男への女の恨みの歌に替えてしまっている。こういうところに定家の皮肉な性格がよく出ている。

 〈決して裏切ることはないと誓った人はつれなくて、わたしの袖は押し寄せる涙の波にしっとり濡れ、その涙に月の光がきらめいています〉

 袖の涙に月光が光るという言い方はこの時代の常套で、定家もこの歌では失恋の悲しみを訴えようとしているわけではなく、本歌の引っ繰り返しの機知や掛言葉の技巧を楽しんでいるといった趣が強い。やはり王朝風の遊び歌の類であろう。歌合せにおける周囲の歌人の喝采や定家の得意顔が目に浮かぶようである。

 

69、白栲(しろたえ)の 袖のわかれに露おちて 身にしむ色の秋風ぞ吹く      (水無瀬殿恋十五首歌合) 

 

 これも新古今集恋の部所載の歌。本歌は万葉集第十二巻〈白妙の袖のわかれは惜しけれど思い乱れてゆるしつるかも〉と古今六帖の〈吹き来れば身にもしみける秋風を色なき物と思いけるかな〉である。

 〈耐えがたい後朝(きぬぎぬ)の別れに涙の露がはらはらと袖にこぼれて、吹いて来る秋風もぞっとするほど身にしみる気がするのです〉

 白は袖の序詞である。〈身にしむ色〉と言ったところが定家流で本歌の〈色なきものと〉から取っているが、特に意味があるわけではない。こういうのを〈きわまれる幽玄の体〉と言うのだそうだが、この場合の幽玄とはぎりぎりの感情を表現の奥底に沈めて優雅な言葉で言ってのけることであろうか。〈幽玄〉という言葉は重要な概念だから別にじっくり取り組んでみたい。この歌の場合時は既に明から暗に流れてしまっているが、哀切の感情と同時に過ぎ去ってしまった過去の喜びの残滓を噛みしめているような甘さがまつわりついている。言葉も美しく真情が素直に吐露されていて心を打つ。〈秋風ぞ吹く〉という結句が何気ない表現でありながら実に利いている。表現にケレン味がないところは定家の歌には珍しく、枯れ寂びた色彩の底に動いている作家の熱い思いを感じさせる。大半の言葉を本歌から取りながら、まったく違う自分自身の歌を作ってしまう定家の歌人としての資質がいかんなく発揮された歌でと言って良いだろう。

 

70、床の霜 枕の氷消えわびぬ むすびもおかぬ袖のちぎりに      (水無瀬殿恋十五歌合)

 

 これも新古今集恋の部所載の歌。〈消え〉は霜と氷の縁語。〈むすび〉も霜の縁語。

 〈消えわびぬ〉とは死んでしまいたいの意。

 〈あの人は再び会うことの約束もせずに去って行ってしまった。わたしの夜の床には霜が置き、枕は涙に氷り、思い患って死んでしまいたいくらいです〉

 初句から結句まで強い表現で終始しているのに、妙に実感がなく何処かよそよそしいのは、やはり作り過ぎたためであろう。〈床の霜〉とか〈枕の氷〉はどう考えてもオーバーだ。感情が先に立って抑えが利かなかったのか、本当は作家に感動がなく言葉の操作だけで構成したためかどちらかだと思うが、読んだ感じではやはり後者のようである。

 何故なら定家という人は〈玉ゆらの露も涙も〉のような歌でも、歌作となるとしっかり抑制が利く人であるので、どうしても前者とは思われないからであり、どちらかと言うと後者のような「智者智に落ちる」誤りを侵しがちな人だ。おそらく後鳥羽院の歌合せで即席に作った歌に違いない。

 

71、行く蛍 なれも闇にはもえまさる 子を思う涙あわれ知るやわ      (拾遺愚草)

 

 定家にこんな歌があるのかと思うくらい素直な歌である。定家は子の為家の歌人としての成長や、その宮廷内における出世に関して親として人並み以上に気を遣っていたから、この歌にも彼の偽らぬ真情が吐露されている。定家のようにソフィスティケートされた人間もやはり人の親であり人の子なのであった。

 〈飛んで行く蛍よ、お前も闇の中で子が迷わないように精一杯心を燃やして身を光らせているのだなあ。子を思って流すわたしの涙を、蛍よお前だけはわかってくれるはずだ〉 

この歌は定家四十一才の作だから、当時為家が蹴鞠に熱を上げてばかりいて歌作に少しも身を入れようとしないのを嘆いた歌と思われる。定家には珍しい直情の歌であり、作家の心はやや感傷に傾いているので、歌としては読者の感情の表層にしか訴えない(うら)みがあるが好感は持てる。定家の歌は一般に冷たく突き放していような形が多いが、〈玉ゆらの〉の母やこの〈行く蛍〉の子、そして次の〈おもかげは〉の妻子など、自分の家族のことになめると、なりふり構わぬ裸の心が出て来る。歌人として構えている定家と、人間としての裸の定家の二様の在りようがはっきり見えて面白い。しかしこの歌特にいい歌だとは言えない。

 

72、おもかげは わが身はなれずたちそいて 都の月にいまやいぬらん    (拾遺愚草)

 

 この時期は後鳥羽院の水無瀬御幸が最盛期で、定家も連日のように呼び出され、時には夜間お召がかかることもあり、深更、夜明けまで御遊(ぎょゆう)(はべ)ることもあった。この歌はそういう水無瀬勤務の中で都の妻子を思って詠んだものと推察され感傷に流れている。病弱な体であり人一倍衿持の高い定家には、院への出仕は一方では名誉欲を満足させたであろうが、他方では相当厳しい精神的・肉体的負担であったに違いない。この歌などを読むと定家も相当参っているという感が深い。因みに前の歌とこの歌は公的歌合せの歌ではなくまったく私的に詠まれた歌で、私家集である《拾遺愚草》所載のものである。

 〈懐かしい妻子の面影は気骨の折れる宮廷勤めの間も何時もわたしの心にこびりついて離れない。今頃は月光の隈なく照らしている都のあの家でみんな眠っていることだろう〉 

結句の〈今やいぬらん〉にしみじみとした味があり、特に秀歌とは言えないにしてもいい歌であることは間違いない。

 

73、袖にふけ さぞな旅寝の夢もみじ 思うかたよりかよう浦風        (三体六首)

 

 新古今集羇旅の部所載の歌で、本歌は源氏物語須磨の巻の〈恋わびて なく音にまがう浦風は 思うかたより風のふくらん〉である。

 〈懐かしい都の方から吹いて来る浜風よ、さあわが袖に吹いておくれ。そうでないと旅路の眠りは安からず、都の夢を見る暇もないであろうから〉

 何かやや捨て鉢な響きがあるが、それが都を離れることの辛さの表現であるならば、やはり損な訴え方であろう。旅寝の風などひどく吹かない方がいいに決まっているのに、敢えてこういう言い方をしたのでは、身も蓋もないことになってしまうからだ。常識を覆しておいて、それをより説得性のある表現に仕立て上げるというのが定家の遣り方ではあるが、この歌では決して成功しているとは思えない。あまり技巧を凝らし過ぎると何時か独り相撲になってしまい読者は白けてしまう。この歌も初句切れになっており、いわゆる達磨歌であるが、初句の断定的な言い方が結句まで行っても読者を納得させないのでは、振りかぶった刀を振りおろすところがなく立往生しているようなものである。やり過ぎの失敗というところであろう。こういう歌まで新古今集が取っているのは、当時の歌壇が歌道衰微の要因を内包していた証拠ではなかろうか。

 

74、春をへて 行幸になるる花の陰 ふりゆく身をもあわれとや思う    (拾遺愚草)

 

 新古今集雑歌の部所載。この歌には次のような詞書がついている。〈近衛づかさにてとし久しくなりてのち、うえのおのこども大内の花みにまかりけるによめる〉。つまり大内の左近の桜が花盛りになったので、宮内卿藤少将などに誘われて花見に行って詠んだ歌ということである。

 〈また春が巡って来て花見の行幸に御供するのも度重なったが、にもかかわらず何時までも出世することなく年老いてゆく自分を、花は哀れと思ってくれるだろうか〉

 この歌は定家が官位昇進についての思いを正直に述べたものであるけれど、後鳥羽上皇も官位に執心して嫌味を言っているとは取らず、〈述懐の心もやさしく見えし上〉と言ってこの歌を誉めており、むしろ自選歌とすべき歌だと言っている。尤も上皇は定家が大方の人が認めるこの歌を自選歌にしないことに不満を洩らし、そういうところに定家の頑なさを指摘している。(後鳥羽院御口伝)これは現代のわれわれから見ればやはり浮き世の愚痴であり、さすがに優雅に歌いこなしてそこはかない哀れを誘うものの、所詮内容が出世欲の話では味気ない。しかし当時は歌に託して自分の官位や職についての訴えを述べるのはやや常識化していたから、歌の表現さえ優雅で言葉が美しければ誉められこそすれ非難されることはなかったらしい。したがってこの歌も後鳥羽院の評価を得たわけで、後鳥羽院すら自選歌にすべきだと述べているくらいである。このあたりは当時の特殊な宮廷人の考え方でわれわれには関係ない。これを見ても定家という人間がどうしょうもない頑固な変り者であることがはっきりする。

 (なおこの歌は後鳥羽院御口伝では〈年をへて〉となっている)

 

75、都にも いまや衣をうつの山 夕霜はらうつたの下みち        (元久歌合)

 

 新古今集羇旅の部所載。

 〈都では今頃秋も深まり砧を打つ音が響いているだろうに、このわたしは夕霜を払いながら、宇津の山の蔦のからむ木の下の道を一人寂しくたどって行くのだ〉

 この歌、ほんとうなら惻々と孤独が迫って来るはずであるが、一向そういう感じがしない。それは下句の〈夕霜はらうつたの下みち〉があまりにも常識的で安易なため、上句で醸成された歌の雰囲気が下句でまったく弛んでしまうからである。これではどう見ても小手先で作った歌としか見えない。定家の歌にしてはあまりに通り一辺で緊張感に欠けている。この歌が新古今集に載せられている点も首を傾げたくなる。

 

76、むせぶとも しらじな心やわらかに われのみけたぬ下の煙は      (和歌所当座)

 

 新古今集恋の部所載の歌で、本歌は《後拾遺集》の〈わが心かわらんものか瓦屋の下たく煙下むせびつつ〉である。〈むせぶ〉〈かわらや〉〈けたぬ〉〈下の煙〉とすべて瓦を焼くことに関する縁語で、〈けたぬ〉とは消さないの意。

 〈あの人心変りしてしまったから、わたしだけが消すことのできない胸の火に悶えむせんでいることを、思ってもみないことでしょう〉

 言葉は実に優雅で本歌の言葉を巧みに使いこなし、恋の恨みの歌に仕上げてはいるけれど、これも心が迫って来るわけではない。注意して言葉を選んでいる作家の心のゆとりが歌の流れの何処からか感じ取れてしまうからである。本当にこういう心境の人間が詠む歌は、このように完璧に整っているはずがなく、もっと動的に何かが迫って来なくてはならない。所詮歌は心であって、言葉は万能ではないのである。

 

77、もしおくむ 袖の月影おのずから よそにあかさぬ須磨の浦人      (卿相侍臣歌合)

 

 新古今集雑の部所載。

 〈須磨の浦人は何時でも汐を汲んでいるから常々袖も濡れており、自ずから月は袖に映るわけだ。したがって月を余所に過ごすことはない〉

 この歌はいったいどういう歌なのだろう。初句から結句まで理屈で通しており、その理屈も濡れた袖に月が映るという宮廷以外では通用しない、もしそうなら優雅なことだという気持ちで作った約束事に過ぎない。こういう歌が持て囃され新古今集にも載せられているということは歌道の堕落を示す以外の何物でもないだろう。前に〈袖に吹け〉の歌のところでこれに類したことを書いたが、この歌は歌格の低さから言って〈袖に吹け〉の段ではなく、もう一歩で狂歌の域に入ってしまう体のものであろう。

 

78、君が代に あわずば何を玉の緒の ながくとまではおしまれじみを    (卿相侍臣妬歌合)

 

 新古今集雑の部所載で本歌は古今集巻十一の〈片糸をこなたかなたによりかけて逢わずば何を玉の緒にせん〉である。

 〈わが君の聖代に廻り逢わなかったら、どうしてわが命を長く生きたいなどと思うことだろうか〉

 この歌は思い切って言ってのけた胡麻すり歌で、いっそここまでからりと言い切ってしまうとむしろすっきりする。こういう歌は普通賀歌に部類されるはずだが、何故か雑の部の片隅に追いやられているのは、やはり選者がいくらか照れたせいであろうか。それにしてもこういう歌は万葉にある似た歌とはまったく性格が違うのである。権力者はどんな時代でも追従に弱いという証拠であろうか。

 

79、泉川 かわ波清くさす棹の うたかた夏をおのれ消ちつつ     (最勝四天王院名所障子歌)

 

 泉川は木津川の古名。〈うたかた〉は水泡だが、定家は〈うたかた夏〉という言葉を造語している。果ない夏というほどの意であろう。

 〈水が澄み切って美しい木津川に舟を浮かべると、水棹にたつ泡は果ない夏の姿のように見る間に消え去って行く〉

 この歌には定家の鋭い感覚が見事に表現されている。水泡の消えてゆくように夏の果なさを見ているのである。すがすがしい光景の中に一抹の哀愁が流れて、抑えた感情がやわらかく浮かび上がって来る。特に強く訴えるものがないにしても、爽やかな佳品と言っていいだろう。

 

80、大淀の 浦に刈り干すみるめだに 霞にたえて帰る雁がね     (最勝四天王院名所障子歌)

 

 新古今集雑の部所載の歌で、本歌は《伊勢物語》の〈大淀の浜に生うちょうみるからに心はなきぬ語らわねども〉である。〈大淀の浦〉は伊勢の国にある。初句、第二句は第三句のみるめ(海松布)に掛かる序詞だが、〈みるめ〉は「見る眼」に掛けてあり、上句ぜんたいが序詞であって特に意味はない。

 〈帰って行く雁を止めることは出来ないにしても、せめて見送るだけでもと思ったのに霞に隔てられてその姿を見ることすらできない〉

 これはまったく障子絵に添えた知的遊戯歌でそれ以上のものではない。したがって言っていることも言葉だけのことで別に作家の心があるわけではない。

 

81、名取川 春の日数はあらわれて 花にぞしずむぜぜのうもれ木    (内裏詩歌合)

 

 どうにも読みにくい歌である。これにはやはり本歌があって、古今集恋の部の〈名取川ぜぜのうもれ木あらわればいかにせんとかあいみそめけん〉である。本歌の〈名取かわぜぜのうもれ木〉は〈あらわれ〉の序詞で意味はない。

〈人目をしのんで来た恋がこのように人に知られてしまったのを、どうしたらいいのだろう。こういうことを予想して恋し合ったわけではないのだから・・・〉という恋の歌を、定家は季の歌に詠み替え、しかも意味も替えてしまって、〈日数が経って人目を引き評判になるのは、朽ち果てた恋などではなく、流水に散る花の風情だ〉と言っている。なるほど定家らしい粋な解釈であるが〈春の日数のあらわれて〉という表現はまことにわかりにくく、難しい歌になってしまった。 何れにせよこんなややこしい歌は当時の人でも作家の真意は中々読み取れなかったであろうし、誤解も生まれたことであろう。どちらかと言うとたいへん一人よがりの歌だと思うのだが、定家自身は〈自家歌合〉にも採っており、好きな歌だったらしい。こういうところに定家のつむじ曲がりの性格の一端を窺い知ることができる。

 

82、名もしるし 峯のあらしも雪とふる 山さくら戸のあけぼのの空    (内裏詩歌合)

 

 この歌には妙な言葉が出てくる。〈山さくら戸〉とは何かということだが、山桜の板戸とも、山桜の多い辺りの山家ともとれる。ここではやはり後者であろうがどうにも無理な言葉である。

 〈山桜の多いこの山家から春の曙の空を眺めると、嵐で名を知られた嵐山のあたりには雪のように落花が舞い散っている〉

 嵐と嵐山とを引っ掛けただけで表現の面で特に面白い歌とも言えず、歌の心があるわけでもない。何か中途半端な感じがする。あまり感心した歌ではない。

 

83、真木の戸を たたくくいなのあけぼのに 人やあやめの軒のうつり香   〈拾遺愚草)

 

 この歌は実に手が混んでいる。先ず〈たたくくいな〉というので聴覚を出し、〈人やあやめの〉と視覚を出し、〈軒のうつり香〉と嗅覚まで動員している。おまけに戸を叩くと水鶏がたたくとを掛け、〈あやめ〉は菖蒲と文目(あやめ)もわからないの意とを掛けてある。凝りに凝った歌だ。

 〈誰かが戸を叩く気配に開けてみると人影はなく、水鶏の鳴く声がして、明け方の薄靄の中に菖蒲が訪れ顔に咲いており、その匂いが軒端まで漂ってくるのだった〉

 これはどう見ても人工の世界で、何か芝居の書き割りのような趣があり、自ずから歌の世界に引き込まれるというものではない。まるで推理小説のような絵解きの世界であり、知的遊戯以外の何物でもない。殊に五感の内の三つまで歌い込んでいるのは、歌作りの上のアクロバットのようなものである。こうなってしまえば、歌の心などと言うものは、もうまったく無関係であり、明らかに邪道である。

 

84、小倉山 秋のあわれはのこらまし 牡鹿の妻のつれなからずば     (内裏名所百首)

 

 この歌も何ともひねくれた歌である。〈牡鹿の妻〉とは牝鹿のことであるが、それをわざわざこういう言い方をしているわけである。安東は〈定家が言葉の風姿を考えたからだろう〉と弁護しているが、言葉の風姿よりわざとらしさが鼻に付く。

 〈牝鹿に情があれば牡鹿が妻を恋うて鳴くこともないから、小倉山の秋の哀れは残らないだろう〉

 牝鹿に情がないので牡鹿の悲しい声が鳴声が秋の哀れを深めているというのを引っ繰り返しているわけだが、あまり理屈っぽくてどうもあまり良い趣味とは思えない。どう見ても初句から結句まで、そして言葉の使い方まで屁理屈で固めているとしか言いようがないのである。まことに定家的な歌だが、その定家的というのは名誉にはならない。これでは情趣も何も起こりようがないではないか。

 

86、さゆりばの しられぬ恋もあるものを 身よりあまりて行く蛍かな   (春日同詠百首)

 

〈さゆりばの〉は〈しられぬ〉の枕言葉。〈しられぬ恋〉とは人に知られぬ恋、つまり秘めた恋のことである。

〈心の奥底に秘めてどんなことがあっても決して人の前に現すことのない恋もあるのだろうが、わたしは自分の恋を内に秘めておくなんて、あの光を洩らす蛍て同じで、そんなことはとてもできそうもありません〉

 この場合〈さゆりばの〉という序詞も何となく優しいやわらかい感じを匂わせて、知られぬ恋の雰囲気をうまく醸し出しており、歌自体はよく整っている。しかしあまり整い過ぎて作者の冷静さ・ゆとりが見えてしまい、恋の緊迫感が薄れている。あまりにも破綻のない歌というものは、作家の計算範囲しか読者のイメージを広げさせないのではないか。そこに読者が何か真実でないもの、いかがわしいものを感じ取ってしまうのは止むを得まい。この歌の悲哀は客観化された悲哀ではなく、傍観された悲哀だと思うのである。

 

87、いとどしく ふりそう雪に渓ふかみ しられぬ松のうずもれぬらん   (仙洞百首)

 

 この歌の〈松〉はもちろん〈待つ〉に掛けてあるのだが、待っているのは恋人だけかと言うと、恋人という形ににしておいて実は世間的評価(この場合は官位)を待っているのかもしれない。そう読めば十分そう読める歌である。歌の表面の意味は〈谷は雪に深く埋もれ、その谷間の人目に触れない松はますます深く埋もれて行ってしまうことだろう〉というのだが、裏の意味は〈あの人の周りには人々が華々しく立ち振る舞っているが、これでは唯さえ人目を引かないわたしは、あの人にますます忘れられて行ってしまうだろう〉と言うのである。ところがそのもう一つ奥に〈官位が昇進せず放っておかれている自分は、周りの人間がどんどん昇進して行くにつれ、ますます誰の目にも触れず捨て置かれることになるのだろう〉という意味を蔵していると言えないことはない。この歌は十分そういう解釈を許すようにできており、定家の他の歌を読んだ感じではむしろそういう匂いは非常に強く、その意味でまことに危険な歌である。何故ならそんな匂いを少しでも臭ぎ取られたが最後、この歌はまったく味もそっけもない駄歌に堕してしまうからである。何れにせよ読み下してみて悲痛な片思いの歌だという解釈はできても、その悲痛感は何処かではぐらかされてしまって迫って来ないのである。まことに損な話である。作為倒れの歌とでも言うのであろうか。

 

88、夜もすがら 月にうれえて()をぞなく 命にむかうもの思うとて    (仙洞百首) 

 

 〈命にむかう〉という変わった表現に戸惑うが、これは命懸けでという意味で万葉集にもいくつか用例がある。この歌は下句を先に読み上句を後で読めば、歌意は自ずから明らかになる。それが倒置されているため、読み下しても何となくしっくり来ないのである。 

〈命がけの恋をしてしまったため、その満たされない思いがつきまとって離れず、一晩中月を仰いで心を苦しめながら、涙と嗚咽が止まらないのです〉

 苦しい片恋の歌だ。だがこれも〈仙洞百首〉の中の〈恋十五首〉ということで作為的に作り上げた歌であり、五十五才の定家が現実の恋の歌を歌ったわけではないのはもちろんだが、曾ての恋の体験がここに結晶しているとも思われない。何故なら〈夜もすがら月にうれいて哭をぞなく〉なぞという表現はあまりにも月並みで安っぽく、近頃の演歌のような発想であり、いかにも実感がこもらないからである。そういう意味でいくら言葉に凝っても心のないものは訴える力はない。これではまったく類型的な感傷歌としか評しようがない。真実の恋の苦しさは月とか涙とかいう手垢だらけの道具立てで主情的に歌っても意味はないのである。

 

89、こぬ人を まつほのうらの夕なぎに 焼くや藻汐の身もこがれつつ         (内裏歌合百番)

 

 技巧のかぎりを尽くした歌である。〈まつほの浦〉は地名であるが、恋人を待つに掛けてある。恋人が帆を掛けた舟でやって来るという想定なのである。〈夕なぎに〉は〈まつほの浦〉に掛けてあって、風は凪いで恋人はやって来ないの意。海岸の風景で詠んでいるので、下句は海女が藻汐を焼く、そして藻汐が焦げるに掛けてあって、思い焦がれて身を焼く思いだと言っているのである。

 〈風が凪いでしまって恋人の舟はやって来ない。それはわかっていてもなお思い焦がれて、海女の焼く藻汐がじりじり焦げて行くように、わたしの心は焼けつきそうで辛い〉

 文字通り読んで行くとこういうこらえきれない恋の思いの歌なのだが、少しも切迫感がない。と言うのは、この歌の目的はそのこらえきれない思いを訴えることにあるのではなく、それはあくまで題材であって、この題材を使っていかに言葉による精巧で華麗なミニチュアの世界を作り上げるかが主眼なのである。したがってこの歌は観念による言葉の建築物の優品というところで、そういう面から見ないとすべて空しいことになってしまうだろう。この種の歌は宮廷社会の約束事の中でないと評価の対象にはなり得ず、有心体を主張する定家自身の歌論とも矛盾する。五五才の時の歌である。

 

90、山の端の 月まつ空のにおうより 花にそむくる春のともしび     (庚申五首)

 

 この歌特に難しい歌というのではないが、〈花にそむくる〉というのがちょっとわかりにくいかもしれない。これは灯火を花から遠ざけるの意で、字の意味はわかっても何故そうするのかということがすんなりわかりにくい。

 〈山の端に月が上がるのを待っていると、それらしく空が色を帯びて来たので、灯火を花から遠ざけて、月の光が花に映えるのを心待ちにしている〉

 まだ目前にはないがこれから展開するであろう艶麗な世界を読者にイメージさせるようにできており、歌をそのための媒介項として必要かつ十分に機能するように作っている。その点でこの歌には空間があり、その空間はやわらかい艶やかさが漂っている幽玄の世界である。唯月の光を味わうために灯火を遠ざけるなどというところは定家一流のやり口であって、極めて優雅であり春の宵のなぜかそぞろめく心の在り様はよく出ている。有心までは行かないが艶なムードの歌だと言えよう。(五六才)

 

91、小倉山 しぐるるころの朝な朝な 昨日はうすき四方のもみじ葉     (庚申五首)

 

 〈小倉山に時雨が落ちかかる頃になると、毎朝毎朝四方の紅葉が色を深め、昨日はこんなではなかったとその度に思う今日この頃である〉

 日毎に色を増す紅葉のことを歌っているが、その背後に何か冷たいものがじわじわ迫ってくる感があり、それがわけもない寂しさとして滲んでいるように思われる。紅葉が色を増すと言うところを〈昨日はうすき〉と裏返して言うところが定家流であり、こういうやり方は成功すれば効果抜群であるが失敗すると嫌味になってしまう。前出八六の〈小倉山秋のあわれは〉はその失敗例である。この歌の場合は先ず先ず成功と言ってよく、むしろ新鮮な驚きの感情がうまく表現されているように思える。(五六才)

 

92、恋いしなぬ 身の怠りぞ年へぬる 有らば逢うよの心強さに     (恋十首・三宮十五首)

 

 〈有らば逢うよ〉の〈よ〉は夜と世とを掛けている。〈有らば〉は生きていればの意。 

〈恋に死ぬこともできなかったのは恥ずかしいことであるのに、この年まで生き永らえて来てしまった。生きていれば何時か逢える夜もあるだろうという強い期待に、心の奥で執着しつづけて来たものだから〉

 老残の恥を忍んでの述懐と言うか、口ごもりながらの独り言といった感じがする。やはりどうにもならぬわびしさと感傷がそこにある。題詠でありながら題詠を越えた真実が感じられて好感が持てる。もっとも定家が妻妾に生ませた子女は二十人、六十五才でもうけた女児もあるという事実を思い合わせるといささか妙な気もするが、この歌の世界はそれとは関係ない。仏教的な諦念と無力感から来る悲哀の感情、自分にもどうにもならぬ恋心がはっきり読み取れる歌である。

 

93、たれもこの あわれみじかき玉の緒に みだれてものをおもわずもがな  (三宮十五首)

 

 〈玉の緒〉というのは短いというところから生命の意。

 〈唯さえ短い命なのにその上恋に心を狂わせて思い惑うことはないのに、誰だってそう思っているのだろうが、そうは思っていてもこの心の迷いだけはどうすることもできないものだ〉

 ここに定家自身の(さが)の拙さに対する深い嘆きが響いている。おそらく彼自身の実感なのだろう。一応恋のことだけを意味しているような解釈にしたが、実は〈みだれてものおもう〉のは定家にとっては恋だけでなく、むしろ官位とか富とかも同じかそれ以上の重さをもったものであったから、おそらくそういうものも含めての現世的欲望を言っているのであろう。そこまで考えてしまうとやや味気なさは増すものの、人間の(ごう)の深さが浮かび上がって来る。こういうところに仏教思想の影響がありありと見て取れると言ってよい。歌としては抽象的な観念の歌で何の具体性もないから、読者の論理に訴える面が強く、全人間的に訴えて来る力は弱い。しかし五十才を越えた定家の正直な述懐になっていて、少しのケレン味もないところは好感が持てる。〈たれもこの〉という思い切った初句の歌い出しは読者を一度に歌に引き込む力がありうまい。

 

94、神無月 くれやすき日の色なれば 霜の下葉に風もたまらず      (三宮十五首)

 

 〈十月ともなると暮れやすい初冬の日の色は何か弱々しく、霜枯れの下葉のあたりは寒々しく風が吹き抜けて行く〉

 この歌は上句と下句の結びつきが悪い。上句は〈くれやすき〉というので夕暮時を思わせるし、下句は〈霜〉というので朝を思わせる。上句は言葉も優雅で風情も深いのに、下句は上句の受け止め方があまりにも安易過ぎる。これでは折角の上句があまりにも可哀相だ。上句が優れているだけに惜しいという気がする。

 

95、自ずから 秋のあわれを身につけて 帰る小坂の夕暮の歌        (韻字四季歌)

 

 安東はこの〈小坂〉を〈小栄〉に掛けてあると言い、〈ささやかな栄達を自嘲しているとも、やや満足しているとも読み取れる感情が、老の自覚と絡んで複雑微妙に揺れている歌である〉と言っているが、果たしてそんなことがあるのだろうか。〈小坂〉と〈小栄〉が掛けてあるなどは駄洒落ならまだしも、あまりにも勝手に解釈し過ぎているのではないか。どう考えてもこの歌を読む人でそんなことを考えつくのは安東の他にはいないのではないか。それより〈帰る〉というのはやはり恋人のもとから帰ると解して、老と恋との関係で読んだ方が意味が深い。

 〈秋の哀れが自分の姿にまつわりついているのを自ら知りながら、恋人の家から帰る道の小さな坂の上でふと振り返ると 夕暮の歌が響いて来るような気がする〉

 わびしさばかりが先に立つ老残の恋の哀感が、やや感傷的な小波となって響いて来るようであり、共感とともに〈夕暮の歌〉という感傷的な言葉がある滑稽感を起こさせて苦笑さえ誘う。定家というつむじ曲がりの男も、五十六才という年の重みについちらりと本音を洩らしてしまったという可笑しさが残る。とは言うものの結句はやはり失敗だろう。

 

96、思いいずる 雪ふる年よ己のみ 玉きわるよの憂きにたえたる     (韻字四季歌)

 

 この歌は前の歌よりもっと感傷的でついて行きにくい。〈玉きわる〉は命が極まるの意。

〈頭に雪をいただく年になって振り返ってみると、人の世の心の潰れるようなやりきれなさに、よくぞ一人で耐えてきたものだとつくづく思うのである〉

 またずいぶん甘ちゃんな歌である。これは被害者意識の歌であり、ナルシシストの歌である。安東は〈重ね重ね詠嘆を抑え込んだところが、自ずと思いの強さになっていて、これもまた良い歌である〉などと言っているが、いったい何を読んでいるのだろうか。〈重ね重ね詠嘆を抑えこん〉でいるどころか、これではめろめろの詠嘆ではないか。むしろこの歌など読んでいると、絶対に自己の足跡を残さない完全犯罪者のようであった定家の面目はまるでない。定家という人はこういう私小説的な歌とは最も関係のない人であったはずなのに、五十六才という年令は定家を根本的に変えてしまったのだろうか。自己の感情の抑制が利かなくなってしまっては芸術は成立しないし、歌人定家も成立し得ないのである。(五六才)

 

97、白妙の 色はひとつに身にしめど 雪月花のおりふしは見つ     (韻字四季歌)

 

 この歌の上句と下句とは意味の上ではどう考えても倒置である。

 〈長い人生の折節に雪・月・花などの風雅な世界は見て来たものの、今の己れの身を振り返ってみると、色もなく寞々とした空しい風景に過ぎない〉

 これは雪・月・花のきらびやかな世界と空しく色を失った世界とを対比させて、老後の孤独と悲哀を歌い上げているのであるが、上句と下句との倒置が成功していないので、読み下してみてどうしても納まりが悪く、歌の力を弱めてしまっている。これだと上句の色気のない枯れさびた感じがあまりにも強いので、〈雪・月・花の折節〉程度の表現では曾ての思い出の華麗さを浮かび上がらせるところまでは行かないのである。歌作の方法としては倒置はやはり失敗であろう。

 

98、風の上に 星の光は冴えながら わざとも降らぬ霰をぞ聞く     (文集百首・仁和寺宮五十首) 

 

この歌は妙な歌である。上句では〈星の光は冴えながら〉と視覚が働いていることがはっきりしていながら、下句では〈霰おぞ聞く〉と聴覚の歌になってしまい、視覚がシャット・アウトされてしまっている。これでは上句が終ったところで障子でも立て切ってしまい、下句に移るとでもしないと理屈に合わない。つまり上句と下句のイメージがつながらないのである。この点はもう一つ別の面でも問題がある。上句では星が冴えているのだから空は晴れているはずなのに、下句では霰が降っているというので、上句と下句とでは天気がまったく違っているのだ。狐の嫁入りと言って、陽が差しているのに小雨がぱらつくということはあるにはあるが、星が冴えている空から霰が落ちて来るというのはちょっと想像しにくい。こういうことがあるからこの歌は読み下してみても、どういう情景なのかイメージが混乱して一向にまとまらない。上句と下句の矛盾が解けないとこの一首の意味はわかりようがない。定家の奇を狙った歌作りが空回りするとこういうことになる。定家には定家の理屈があるのだろうがそれは読者にはほとんど伝わって来ない。これはやはり無理である。(五七才)

 

99、みどり子を ありふるままの友とみて 馴れしはうとき夕ぐれの空  (文集百首・仁和寺宮五十首)

 

 この歌は表現が率直でケレン味がないからよくわかる。〈ありふるまま〉とは今現在の状態という意味。

 〈赤ん坊を老いの身の友としてあやしては心を慰めるのに馴れ親しんで来ると、そういう自分がなんともわびしく遣り切れなくて、夕暮の空を仰いではつい溜め息を洩らしてしまうこの頃である〉

 ここには老いを噛みしめている定家の裸の姿がある。老いの自覚が心を弱くして感傷的になっており、定家特有の強気の面は姿を隠している。先にも書いた通り定家は六十五才で女児をもうけているくらいだから、この歌を作った五十七才の時自分の子供を抱いていたとしても少しも不自然ではない。この歌は定家の実際の体験に基づいていると言っていいだろう。歌そのものは感傷的でであるが、言葉は比較的さらりとして直接的表現を避けているので、べとつく所はなく人生の哀感がそぞろに匂って来る。佳品と言って良かろう。

 

100、つくづくと 明けゆく窓のともし火の 有りやとばかりとうひともなし  (仁和寺宮五十首) 

 

上句は下句の〈有りや〉につなぐ序詞であるが、老いの命を象徴する有心の序詞となっている。〈つくづくと〉は物思いに耽るほどしみじみとの意。

 〈夜が明け離れていく頃になると、窓の灯もじっと見つめないと灯っているかどうかわからないように、わたしの存在もほとんど人の注目を受けないようになってしまって、今では元気でいるかと訪ねてくれる人もいなくなってしまった〉

 年老いた自分の姿を自覚しながら、なお断ち切れない世間への未練にほぞを噛みしめている老残の孤独が滲み出ている。上句の歌い方などにまだポーズ的な匂いがして、いくらか心に引っ掛かるところもあるが、素直に受け取ってもよい歌だと思われる。このあたりの歌はまったく肩を張ったところがなく、表現の上でもあまり技巧を凝らそうとしている気配がない。定家の性格からすれば圭角が取れて来たと言うより、老いによる気落ちのようなものとしか理解できない。しかし今まで近寄りがたかった定家がわれわれのもとに戻って来たという感じはする。歌の緊張度は弱まったが、そこはかとない味わいは出て来ており、それは確かに〈さび〉に通ずるものなのである。(五五才)

 

101、わくらばに とわれし人は昔にて それより庭のあとはたえにき     (仁和寺宮五十首)

 

 この歌は新古今集雑の部所載。

 〈うず高く積もった枯葉を踏んであの方がわたしを訪れてくださったのも今はもう昔のことになってしまって、あれ以来庭の落葉を踏んで訪れる人もなく、人の気配さえまったくなくなってしまった〉

 言葉も素直で表現の上では感情が十分に抑制されており、恋人だけでなく世間の人からもまったく見捨てられてしまった女の絶対の孤独が惻々と伝わって来る。歌の姿に気品があり、余剰も深く、魂の疼くような静寂が立ち篭めている。〈わくら葉に〉という初句に心弱くなった女の孤独が既に匂っており、〈訪われし人〉には恋人に対する優しい女心の響きがある。下句の〈それより〉いう言葉は強い断定を敢えてする絶望的な心も匂っている。〈庭のあともたえにき〉にはカサとも音を立てない深々とした静寂が浮かび上がり、今まで画かれて来た世界が闇の世界に溶け込んで行くかのように歌い納められている。歌の底からこらえきれぬ女の嗚咽が微かに洩れて来るような気さえして来る。こういうのが〈さび〉の美というものであろう。定家が求め求めて到達した世界をよく表している一首である。

 

102、二見潟 まだ見ぬ浦のあけくれは 心にしむる月にすまばや      (仁和寺宮五十首)

 

 この歌と次の歌は遁世への憧憬にも似た心を歌ったものである。

 〈二見の浦にまだ行ったことはないが、何時かこの地住みたい。そこの暮らしの明け暮れに見る月はさぞや心に沁みて浮き世の執着を清めてくれることだろう〉

 

103、いかで君 たれも命をながらえて 清き渚に昔かたらん        (仁和寺宮五十首)

 

 〈親しい友よ、お互いに何とか永らえて何時の日か都を離れた清い海辺に住んで、昔の思い出を語り合おうではないか〉

この二首には定家が生涯を過ごして来た宮廷歌人の生活に対する、心底疲れ切ったという気持ちが流れており、それが清雅・閑寂な世界を空想させ憧憬させている事情がよくわかる。誇り高く一見華麗な宮廷歌人としての生活の空しさが、老いを迎えた定家の心をひたひたと忍び寄り、思わずこういう歌を詠ませたものであろう。心の中が正直に流れだしていて、技巧を凝らすゆとりがなかったものか、〈心にしむる〉〈清き渚に〉〈昔語らん〉など、定家の使う言葉としてはやや平凡で歌としての魅力を薄めている。やはり感傷が先に立つと定家といえども抑制と洗練のための心のゆとりが失われるのであろう。定家の真情はよくわかるが、歌としての格は高いものとは言えない。

 

104、雁がねの なきてもいわんかたぞなき 昔のつらの今の夕暮      (日吉社歌合)

 

 〈つら〉とは列で仲間のこと、雁の縁語。〈なきて〉は雁と自分の両方に掛けてある。 

〈雁がねが列をなして夕暮の空を飛んで行くのを見ると、昔の仲間のことが思い起こされて、その恋しさは泣いても言葉に尽くせない気持ちだ〉

 定家の歌も晩年になるにしたがって言葉中心のきらきらした世界から、素直な心中心の世界に変わって行く。定家の官位昇進への執着は七十二才に中納言になるまで消えはしなかったが、それにしても五十才を過ぎてからの定家は肉体的老化の自覚もあってか、歌の面では大きく変化して行く。現世への執着心の反面、その空しさの自覚も急速に強くなって行ったのであろう。(五八才)

 

105、わが心 弥生ののちの月の名に 白き垣根の花ざかりかな      (四季題百首)

 

 承久二年、この年定家は〈野外柳〉の題詠歌によって後鳥羽院の勅勘を蒙り、公式の歌会から締め出されてしまった。翌承久三年承久の変が起り、後鳥羽院は隠岐に配流になるが、その後も勅勘は解かれなかった。そこでこの歌だが、〈弥生ののちの月の名に〉という句を除くと、自分の心は潔白だということを、卯の花の白に例えたものだということは明白であり、勅勘事件との関連において詠まれた歌と見て間違いあるまい。唯それが〈弥生ののちの月の名〉とどう関連するのかだが、これは卯の花に掛かる序詞としてしか考えようがないものであろうか。つまり〈弥生ののちの月の名〉とは卯月であり、卯の花の季節というだけの意味だが、それだけではあまりに味気ないし詰まらない歌ということになってしまう。わたしは潔白ですだけではやはり歌にはならない。しかしこの歌はいくら読み返してみても、どうしてもそれ以上のものは出て来ないので、結局それだけの歌としか理解しようがなさそうである。(五九才)

 

106、冴えくらす 都はゆきもまじらねど 山の端白きゆうぐれの雨    (四季題百首)

 

 ずいぶんひねた表現の歌である。上句の〈雪もまじらねど〉というのは雨だというのを捻った言い回しで、下句の〈しろき・・・雨〉というのは雪であろう。したがって雪を出して実は雨、雨を出して実は雪と言うことになる。こういう表現を〈いと巧みなり〉と評した《美濃の家》という本もあるそうだが、感心しない。

 〈寒気が冴えている都には雪ならぬ冷たい雨が落ちているが、夕暮迫る遠い山の端が白く見えるのは雪が降っているのであろう〉

 つまり冬の叙景歌であるが、その表現の底に作家の冷え冷えとした孤独な心情が畳み込まれている。それはわかるが言葉の使い方は捻り過ぎであろう。この歌には宮廷の歌会をやっと勤めている定家の遣り切れなさのようなものが感じられ、雨と雪の捻った言い方なども、何処か詰めを怠ったなげやりなところが付きまとうのである。定家は宮廷歌人の仕事というものに既に倦んでいたのではあるまいか。

 

107、におうより 春はくれゆく山吹の 花こそはなの中につらけり    (関白大臣家百首)

 

 〈暮れゆく春の宵を匂うように咲き乱れている桜の中に、山吹の濃厚な黄色が混じっているのは、何ともぶち壊しでみているのが辛い〉

 何とも読みにくい歌である。この歌は山吹を出すことによって桜の匂う春の夕闇の駘蕩とした美を際立たせようとしたものであろうが、山吹の黄色の強烈なイメージが却って逆効果になって、狙いが成功していないように思われる。尤もそういう辛さ遣り切れなさの中に、古き良き時代への郷愁を響かせているのだと言えば、そうも取れないことはない。それにしても言葉の並べ方が複雑ですんなりとは意味が取れないところはやや老人の意地悪のようなものも匂って来る。(七一才)

 

108、吹きはらう 紅葉のうえの霧はれて 峯たしかなる嵐山かな       (関白大臣家百首)

 

〈嵐山に懸かっていた霧が折からの秋風にすっかり吹き払われて、くっきり姿を現した峯に紅葉が絢爛たる彩りを繰り広げている〉

 この歌は作家の心境もすっきりふっ切れたものがあり、すがすがしくしかも豪華だ。

 定家はこの年中納言に任ぜられ新勅撰集の選進の勅命を受け、さらに勅授帯剣を許されて遂に多年の官位への執着を最終的に満足させた。そういう背景がこの歌の心境に大きく影響しているのかもしれない。定家の歌でこのくらい心境のすっきりした歌は他に例を見ないと言っていいからである。(七一才)

 

109、生ける世に そむくとのみこそうれしけれ あすともまたぬ老の命は  (関白大臣家百首)

 

 この歌と次の歌は七十二才で遂に出家に踏み切った定家の述懐の歌である。〈世にそむく〉とは出家するの意。読んだ通り理解すればいいのであるが、〈のみこそうれしけれ〉という表現には、俗世間への執着からやっと自らを解き放つことが出来た解放感が生き生きと躍動している。定家は〈うれしけれ〉などという単純で素直な感情表現をする人ではなかったからだ。したがって彼の出家は仏道への希求というような抑え切れない内的動意によるものではなく、煩瑣な現世からの離脱という逃避的な側面の強いものであったに違いない。

 

110、闇ふかき うきよの夢のさめぬとて 照らさばうれし有明の月 

 

 この歌にも〈うれし〉という言葉が何のためらいもなく使われて、定家の心境の変化を示している。

 〈お前は深い深い煩悩の闇をさまよって来たが、そのお前にも遂に空しい夢から覚める時が来たのだと真如の月が照らしてくれたら、わたしはどんなにうれしいことだろう〉

 歌はまだ煩悩の闇にさまよっている人間が、真如の月に憧れていることを歌った形になっているが、この歌には何処か夢から覚めたような軽さ、爽やかさがあり、作家がこの歌を心楽しく詠んでいるような気配がある。やはり出家という一つの転機を越えて大きな心の安らぎを覚えているのであろう。この二首、歌としては特にどうと言う歌ではない。

 

111、かきやりし その黒髪のすじごとに うちふすほどは面影ぞたつ    (拾遺愚草)

 

 最後にこの歌は作歌年代は不明だが、落とすことのできない耽美主義の頂点のような歌である。この歌は新古今集恋の部所載の歌で、本歌は《後拾遺集》の和泉式部の、〈黒髪の乱れもしらずうちふせばまずかきやりし人ぞ恋しき〉である。この歌は下句の〈まず〉が〈かきやりし〉にではなく〈恋しき〉にかかるのだと理解すれば、意は自ずから明きからかだろう。しかし定家の歌はそうすんなりとはわからないようにできている。先ず上句を読むと、〈かきやりしその黒髪のすじごとに〉というのはどう見ても現在の話であり、現実のことだというイメージを与える。ところが下句を結句まで読んでみるると、〈面影ぞたつ〉と言うのだから、これは過去の話だったかと戸惑わされる。とすると黒髪の筋ごとに面影が立つというのはどういうことかと、何だかわからなくなって来る。そこでいろいろと思いを廻らしてみると、この歌でも複雑な倒置が行なわれていることがわかる。今意味の順に並べ変えてみると、〈うちふすほどは〉〈かきやりしその黒髪のすじごとに〉〈面影ぞたつ〉ということになり、つまり意味はこうなのである。

 〈どうしても逢えない人を思って夜の衾に身を投げて悶えていると、その黒髪の一筋一筋まであの人の面影がはっきり浮かび上がって来て、どうにもならない苦しさに呻き声を上げたいほどなのです〉

 〈すじごとに〉という言葉はこう解さないと意味が通らないのだが、いささか無理な使い方である。そこでやっと意味がわかったところで振り返ってみると、これは何とも妖艶な歌である。〈かきやりしその黒髪のすじごとに〉という上句があまりにも具体的で艶かしく、不潔なエロに堕する寸前で踏みとどまった感がある。結句の〈面影ぞたつ〉という表現は動的で生々しく、助詞の〈ぞ〉もたいへん効果的に働いている。妖艶の美でこれにすぐるものはあるまいと思われるほどだ。〈うちふすほどに〉も一人寝の衾の中の身悶えが感じられて鋭い言葉使いである。このように性をあからさまに歌いながら、下品にならず優雅に歌い上げた手腕は正に達人の技だと言えよう。ところでこの歌の世界であるが、時は既に流れ去り、作者は二度と帰ることのない過去のきらきらしい世界に執着して、それを呼び戻そうとして空しい抵抗をしている。それが空しい抵抗だということを作家は知っている。しかし作家には過去に執着することしか残されていない。つまり作家の現在は闇に包まれており、そこには絶望しかないのである。これはもちろん定家自身の世界である。彼は絶望者であり、絶望的世界からの脱出を、屈折した感情を美的に表現することによって果たそうとしているのだ。つまり官能美の極致を探求することによって精神のバランスを保ち、そこに喜びの感情を見いだそうとしたのだ。それは退廃・堕落の匂いを感じさせる世界である。つまり爛熟した果実がその最高の美を誇りながら何処か()えた匂いを漂わせているようなものである。確かにそれは美しい。しかしそれは決して健康な美しさではない。なぜならそれは明の時間の美ではなく、既に時間が暗に流れてしまった世界の美だからである。何れにせよこの歌はそういう種類の美としては最高のものであろう。

 

 

 

 

 


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